『愛花』
大崎は、そのまま帰京する気にはなれなかった。
前夜、訪れた篠山家は真っ暗であっただけでなく、誰も住んではいなかった。
大崎はタクシーの運転手から、この家は先頃引っ越したと聞かされ、そのままホテルへと戻ってきた。
引っ越した。
何処へ。
懐かしい職員室の一角にある、応接セットに向かい合う。
翌日、短いとはいえ、前の職場であった高校を訪ねてみようと決心した。
また誰かに会うだろう。
しかし、このまま帰ったとしても、また、すぐ戻ってくることが予想できた。ならば、少しくらいの時間のロスは、この際目を瞑った方が賢明だ。
同じ理由でタクシーを使い、校門前に降り立つ。今日の運転手は、早々に走り去ってしまった。
新学期早々の、忙しい時期だったことが幸いし、誰に会うこともなく事務所まで辿り着く。近くまで来たので、誰か会えないか、と告げると当時学年主任だった永井教諭なら、と答えがあった。お願いします、と云っている場に永井が現れた。
今年度、教務主任に格上げされた永井は、一通りの挨拶をすると、
「昨日、同窓会やったんですって」
と、云ってきた。
「どうして、それを」
「宮野からメールが来ましたよ。今日は多めにみてくれって」
思わず笑ってしまう。彼奴のこの小まめさが、人を呼ぶのか。
「お蔭で楽しめました」
そこまで云って、腹を括る。話題が変わってしまってからでは、遅い。すかさず、愛花のことを切り出した。
「篠山がいなかったようですが」
どこまでも、さりげなく、だ。
ところが、こちらの気持ちなど全く気にしていないように、永井が云った。
「父親の仕事柄でしょうね、行き先は殆ど誰も知らされていないんですよ。私も知りません。愛花には可哀想でしたね。卒業式には、もう分かっていたらしいんですが、何も云わないまま卒業していきましたよ。今だから云いますが、いい女でしたね」
そんなことは、とっくに知ってる、と叫びたかった。
しかし、そんなことを云える筈もなく、苦笑いをして誤魔化した。
手掛かりは完全に途絶えた。