『愛花』

その15 家族 そして

 篠山が、ここです、と立ち止まった家に灯りは点いていなかった。
 否、その前に、直前のコンビニで酒やつまみを買い込んでいる時に、感じていた。
 愛花がいる筈はない。
 あれから十数年、もう結婚しているだろう。

 久し振りに味わった、子供のようなドキドキ感だった。
「失礼します」
 遠慮なく上がりこみ、愛花の話は何処かにぶっ飛び、最近の医療事情の話ばかりに盛り上がった。
 今は、医療現場専門だという篠山の知識は、本物だった。
 いつしか、大崎は篠山に好感を抱いていた。だからこそ、話してみようと思った。置き去りにされた気分を味わった、あの春のことを。

「篠山さん、実は俺…貴方の事、恨んでたんですよ」
 在庫のビール瓶が空になり、買ってきた五百の缶ビールが数本転がった。

 すっかり酔った。もう、いいか。

「だと、思ってました。あの頃、少しヤバイ相手が取材対象だったので、まるで夜逃げ状態で消えましたからね」
 篠山の言葉も、まるで昨日のことのように出てくる。きっと、こいつにとっても過去じゃないんだろうな、と大崎は酔っぱらった頭の片隅で感じていた。
 そして、いつの間にか眠ったらしい。
 研究が一段落ついていて良かった。

「先生。大崎先生、朝ですよ」
 遠くで誰かの声がする。懐かしい愛花の声だ。また、いつもの夢を見ている。覚めるなと願う夢。愛花の夢…。

「痛ッ」
 莫迦やろう。そんな声、出されたら目が覚めるだろう。誰だ、そんな声出す奴は。
 大崎は次第に覚醒していく、自分の思考を現実に照らし合わせる。
 見慣れない部屋。
 見慣れない布団。
 見慣れないカーテン。
 そして、叫ぶ。

「愛花!」
 大崎は、布団の上に飛び起きようとして、二日酔いの頭を抱えこんだ。

「二人とも、おはよう。気分は如何?」
 ゆっくりと頭を上げると、目の前を篠山が横切っていく。
「愛花。覚えてろよ、蹴るなよ」
 そう云って、腰をさすっているのが分かる。どうやら、こいつは愛花に蹴り飛ばされたらしい。それなら、優しい声をかけられた自分の方が、ずっと幸せだ。
 しかし何故、愛花が此処にいるんだろう──。

 朝、思考のかけらしか残っていない頭では、愛花がそこにいるということしか理解できなかった。

著作:紫草

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