Dream on『作品a』

U

 Koki、Goki!!

「いってぇ〜」
(今、首ゴキっつったぞ。大丈夫か、俺?!)

 ひとり、机に向かいレポートを一つ仕上げ、漸く終わった疲れをとろうと、首を軽く左右に動かしただけなのに。そんなに固まってたとは思わないんだけどな。再び首を廻そうとして、
(ゲッ!やめよ。マジやばい)
 あと2つ。出来るかな〜時間足りないかも。

 ふと、辺りの気配が全くしないことに気付く。昨夜からの徹夜で時間の感覚を失っていたせいもあり、現在時刻が不明である。
「そういや彼奴。今日、何処行ったんだ?」
 そう言いつつリビングのTV前まで移動し、カレンダーを覗き込む。指で1つずつ日付を追っていき目指す場所をみつけると、スケジュールが書き込んである。
「そっか。今日、締め切りだったんだ」
 と誰に聞かせるわけでもなく呟いた。

 郊外にある自宅マンション。9階建ての8階部分、同じ階に3軒あってその中央。居間を仕事部屋に陣取っている彼奴こと本宮(もとみや)瑠璃(るり)は主に中国語の翻訳をして生計を立てている。
 俺はその息子で現在大学一年在学中の本宮竹瑠(たける)。
 2LDKとはいえ古いから「狭いのは嫌だ」と言うおかんに代わり、俺が四畳半の部屋を使っている。残りは仕切りを取っ払い、台所からリビングまでの一続きの部屋だ。両隣に部屋がある為、どちらかといえば長方形に近い。南側のベランダに近いところをTVとソファが占拠し、西側の壁に沿い中程をパソコンと本棚、そして今時珍しい文机が置いてある。玄関に近いキッチンには小さな食卓があり、物に溢れる我が家である。
 しかし俺の自室は何もない。勉強机が一つあるだけ。必要な物は特にはないし、ごちゃごちゃは嫌いだ。唯一の例外は机の上か。二段式の本棚には本がぎっしりと並んでいるし、引き出しの中も負けずにぎっしりだ。
 さっき離れた時に切り忘れたパソコンのTVも、ついたままになっていた。
 そして再び机に向かい、TVを閉じWordを開く。今度は、サイドテーブルのラジカセ(このご時世にラジカセって凄いよな。勿論、CDもMDも聴けるけど、使うのはカセットテープ!)のスイッチを入れる。

(何だ?!)

 あっ! 彼奴、またテープ勝手に入れ替えてる。
「しょうがねぇなぁ」
 ぶつぶつ言いつつ目当てのテープを探し入れ替える。すぐに見つかって良かったよ。これから2時間分の会議の起こしだぞ。それとレポ。締め切りは明日午前10時。死ぬ気になれば何とかなるか。

 ♪ピンポーン

(はぁ〜)
 かなり大きめの溜息をついた。
 我が家はマンションとはいえ旧式だ。
 集中ロックでもなければ、インターフォンも付いてない。
 つまり、誰かが来たことを告げたチャイムは、玄関を開かなければ相手も用件も一切が不明である。一瞬、マジで居留守を使うかとも思ったが、前回“試験中”を理由に居留守を使ったら、後でおかんにめちゃくちゃ叱られた。この世界は今も現金商売で、まだ 半分くらいは現金払いなのだそうだ。
 その時の居留守は郵便局員の現金書留の配達だった。当時の記憶が蘇り、俺は渋々ながら玄関に向かった。
 扉を開けると、一人の男性が立っていた。紺のスーツ姿。俺はチビだけど、この人は180センチくらいはありそう。それに若くて二枚目だ。とても現金書留を配達するとは思えない。
「えっと‥、こちら本宮瑠璃さんのお宅でしょうか」
 随分、自信なさそうに話すんだな。
「はい。ですが、母は今出掛けています」
 そう答えると、その人はとても驚いたようだった。
「お母さん?! そうですか。分かりました。時間がないのでこれで失礼します」
 そう言うと男は胸の内ポケットから手帳を取り出し名前とсiンバーを書いて、その部分を破り俺に差し出す。見ると、そこには日本のものではない名と「一竹」と書いてある。
「今日、夕方には出国します。もしも、それまでに帰宅されたら、この番号に連絡をもらえますか。‥そうだな。十五歳の夏に会ったことがあると伝えてもらって、それで、その気になったら電話を下さい。国内にいる間は電源を入れておきます」
 とても綺麗な日本語だった。この人日本人だよね。出国って何だろう。仕事かな、それとも別の国に帰化でもしたとか。何故って、この名前はアジア圏の者を指している。
 こういう場合、これはこの人の名前だろ。15の時って、どういうことだろう。二人はどんな知り合いなのかな‥。
 そんなことを考えていた為、何も話さず黙って立っていた。
「では」
 と言う男に促されるように竹瑠も返事をし、男は去った。
 手に残されたメモにはおかんの過去が詰まっているような気がして、暫くその場を動くことが出来なかった──。

 程なくしておかんが帰宅した。
 俺は来客のあったことと伝言をそのまま伝え、そしてメモを渡した。
「知り合い?」
 俺の問いにメモを読みながら答える。
「ええ。何時だった?」
「ほんの2、3分前。下ですれ違ってない?! 背が高くて金城武に似てる人」
「金城武って、あの俳優の? いいえ誰にも会ってない」
「じゃ、歩いて階段降りたのかな…」
 言葉が終わらないうちに、おかんは出て行った。
 その様子に少し驚いた。
 いつも、どんな時も動じる姿を見たことがない。頭の回転が速過ぎるから、人にはいつも冷静に物事を分析してるようにしか見えない。そのおかんが、顔色を変えて飛び出して行く。
「誰なんだろう?!」
 何となく気になった。課題をする時間がない、と分かっていながら俺の足はおかんの後を知らないうちに追いかけていた。

 エレベーターは1階で止まっている。車を出すなら地下2階で止まっている筈だ、この短い時間に別の誰かが1階に出ていなければ。
 でも俺はおかんも歩いている筈だと思った、きっと。
 直感。それに従い俺もエントランスを出て東に向かい走り出していた。
 暫く走ったところに、かなり急な坂道がある。そのほぼ真上の処に2人を見つけた。
 ほら、やっぱり歩いてた。

 !!

 2人は抱き合っていた。思わず足が止まってしまう。その時、おかんが初めて女に見えた。何故だろう、当たり前のことなのに気付いてなかった。見ていたくないな、と思った。
 しかし立ち去ることも忘れ、その場に立ち尽くしてしまっていた。
 暫時、男が俺に気付いた。

 俺は2人が歩き始めるのをどうすることも出来ず、ただ来るのを待った。
 一歩、また一歩と男は近づいて来る。逃げ出したい衝動に駆られながらもその場に踏みとどまったのは、背中を見せたくなかったからだ。少し遅れて歩くおかんにも、逃げるなんてかっこ悪いとこを見られたくなかった。そんな意地だけが俺を支えた。
 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、男の足取りは軽やかだ。おかんとの距離がどんどん拡がっている。
 遂に俺の許へ辿りついた男は何も言わず、いきなり俺の体を抱き締めた。
 !!!!!!!!

(勘弁しろよ)
 驚く俺を、一足遅れて到着したおかんが嬉しそうに見る。そして、こう告げた。
「彼は、あなたの父親よ」

 頭の中が、瞬時に真っ白になった──。

著作:紫草

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