Dream on『作品a』

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 世の中は不公平だ。
 小さな国を見てもその中で不公平は存在するし、大きな国を見ても、やはり不公平は存在する。
 その頃アジアは、世界的に見れば急速に発展していたし、それに伴いアジアへの旅行も急増していた。
 父の言葉を借りて話をすればこうだ──。

 おかんは中学三年の夏休み、祖父の仕事の都合もあり、丸々一ヶ月アジア各国を転々とする予定で日本を後にしたという。到着して一週間、おかんは何を考え何を感じ、初めての異国での体験を記憶していったのだろう。
 しかし、おかんはその時のことを口が裂けても話そうとはしなかったという。ただ毎日、必死に涙をこらえていたという。そして奥歯を噛みしめて全てのことに耐えていた。

 父とおかんは同じ傷を持つ同じ日本人の血が流れる人間として出逢った。ただ、同じ国の言葉を話すことが出来なかっただけだ、と父は話した。

 運命のあの日。
 親子3人で泊まっていたホテルに父がいた、その世界では、ちょっと名の知れた有名な窃盗団の一味として。
 そして、急な部屋の移動により両祖父母は死んだのだ。間違いに気付いたのは父だった。

「子供がいる!」
 と叫んだと云う。

 子供がいる筈がなかった。
 なのに、そこにはまぎれもなく子供の姿が在った。その子供がおかんだ。
 間違いに気付いた仲間は、本来の依頼された相手の処へと乗り込み、父はその部屋でおかんを見ていた。
「見張れ、と云われたのだが」
 と、そこで少し言葉をおいて、
「見惚れていたよ」
 と言って微笑んだ。

 初めて空気が和んだ。そこで父は車を止めた。

 公園のフェンス沿いに車を寄せると、エンジンはかけたままで煙草に火をつける。細身で長い指がマイルドセブンを挟んでいると、えらく高級な煙草のようにも見える。
 暫時、煙草をくゆらすことに専念しているかのように、父は何も話さない。
 やがて、体を俺の方に向けると少し怒っているような口調になっていた。

 近代社会が何だ。
──旅行者がテロに巻き込まれ死亡した──
 たった一行で2人の人間の命が語られ、相手がテロリストでは事件解決も難しいであろう、と伝えられた。
 父は、その怒りが忘れられず刑事になったのだという。俺はその時、初めて父のことを凄い人だと思った。

「あの…」
「何?」
 父が煙草を灰皿に押し付けた。
「話を戻して申し訳ないんですが」
「いいよ。何でも云ってみて」
「日本人って言われましたよね」
「あゝ」
「どうして日本語が話せなかったんですか」
 父の顔が驚いている。小さく息を吐きゆっくりと答えた。

「同じだったんだよ」
「何が、ですか?」
「僕も、旅行中にテロで両親を殺され、そのまま攫われた。そして殺されることなく泥棒の一味として育てられたんだ」

 !!
 じゃ何故?!
 あっ、もしかして、
「日本語を忘れてた?!」
「そう。僕は君のお母さんと違って、2歳か3歳、本名も分かっていない時だったから」
 そう言うと父の瞳がいくらか潤んで見えた。

 もしかすると、俺はとんでもない状況の中、できたってことになる。
 冗談じゃない。おかんのことだけでも手一杯だったのに、それなのに、この上父親の身の上聞いて、更に背負い込んでどうすよ?!
 俺のそんな動揺に気付いているのか、いないのか、父は静かに話を続けた。

 ニュースではテロリストと伝えられても、本当のところは窃盗団。大きな意味で家族だった。だからこそ殺されずに育てられたのだろう、と父は言う。
 そんな時裏の世界、所謂ブラックマーケットを牛耳る抗争が悪化した。対立する各々の組織は裏の裏を読みながら相手を陥れる為、スナイパーを雇う。
 しかしどういうわけか、その時、父の居た窃盗団に依頼がきた。
 下調べは充分だった。
 ホテルが若干古かっただけだ。スウィートは二部屋。内、一部屋は空いている筈だった。
 雨が原因の水漏れ事故で日本人客がスウィートに移されているとは渡された資料にはなかった。
 普段、殺しは引き受けなかった。あの時、動いた金の額に負けた。丁度年配の男が一人体調を崩し手術を受ける必要があった。正規の治療は受けられない。金が必要だった。

 そして、おかんは1人残された──。

 きっと間違ったことへの罪滅ぼしだったんだろう、と父は言う。
 行動を制限しても、特に暴力を振るうことも監禁することもなかった。軟禁ということにはなるんだろうが、おかんは自分から逃げ出すようなことはしなかったらしい。
 その日から、2人はずっと一緒だった。
 互いに言葉を伝え合い、気持ちを確かめ合った。両親を殺された哀しみを、同じ哀しみを持っていた父に慰められ、そしておかんは父に想いを寄せていった。
 それは十五歳同士のあどけない恋とは違う。紛れもなく男と女の愛情だった、と。
 おかんが、そんな激しい恋をしていたとは夢にも思ってもみなかった。
 考えてみれば、俺の存在自体が2人の愛の証ってヤツじゃん。何かさ、ドラマみたいでかっこいい。

「あの…独身ですか、今」
「今も過去にも、女は彼女しか知らない」
 そう言うと、強張っていた身体から力が抜けたようだった。この人の愛情って素晴らしいなぁ。
 俺は思い切って、こう宣言した。
「じゃあ、今日、連れて行って下さい」
「えっ?!」
「おかんもずっと独りでしたよ。今思えば貴方を…父さんを待ってた。おかんには空港に行くように連絡します。荷物は俺が持ってきます。だから、このまま次を待たないで攫っていってやって下さい」
「でも、それじゃ…」
 父は、困った顔をしてなかなかOKとは言わない。
「大丈夫。俺はもう充分愛してもらいましたから。それに海外旅行する言い訳になります。今まで絶対許してくれなくて、いつも留守番だったから」
「きっと良い思い出がないからだろう」
 そう言うと少し顔をしかめる。
 そうだよな。
 この2人にとって海外旅行の持つ意味は普通の人とは違うんだ。おかんだけじゃない。父の記憶でも海外旅行は良い思い出なんかある筈ない。
「父さん。今日、会いに来てくれてありがとう」
「いや、こっちの方が礼を云わなくちゃ。でも、本当にいいのか?!」
「心配でしょうが、せいぜい心配して下さい。俺の存在、今日知ったんでしょ」
 俺がそう云うと、驚いたように目を見開く。
「そうか、そうだよな。じゃ、引き返そう。家まで送るよ」
 父は止めていた車を上手くUターンさせると、マンションへと発進させた。
 すでに2人の間には、おかんの事情なんてものは含まれてはいなかった。
「荷物を作ったら、すぐに後を追います」
「分かった」
 俺がマンション下に降りると、父は同僚との約束があると一先ず車を走らせることになった。

 空港で待ち合わせ、出国ロビーで場所をとる。
「何故おかんだけがこっちに居るんですか」
 という問いに父は暫時答えなかった。
 そして、考えて出てきた言葉はひどく哀しそうに見えた。

 あの年の8月も半ばを過ぎた頃、窃盗団は一斉検挙された。仲間の命を助けるために警察に出頭したのだという。
 パスポートもあり言葉も話すことが出来て、全ての事情を自らの口で語ったおかんは、手続きを踏み帰国。
 しかし、パスポートもなく名前も判らず、片言の日本語しか話せない。父が日本人であると証明することは不可能だった、と。唯一の救いは、父を取り調べた刑事が当時の事件を憶えていてくれた事。そして、その刑事が父を養子にしてくれた、と言った。
 学校へ通い言葉を覚え日本へ帰ることだけを生きがいにして、おかんに再び逢うことだけを夢みて頑張っていたが、養父であった刑事に同じ道を目指せと言われた。刑事になれば、たとえ異国の情報であっても少しは入手できる、と。当時の警察に嫌気がさしていた父に、簡単には決められる職業ではなかった。
 しかし、テロが許せないという気持ちは残っていた。
 父がその言葉に従い進路を決め下積みから始めキャリアを重ね、やがて個人的な調査を許されるまでに十年以上かかったと言う。
 そして長い年月を経て漸く今日捜し当てた。ただ、まさか俺の存在が真実とは思われなかったらしい。紙の上の情報がどこまで真実か、国の違いとは恐ろしいなぁ、と溜息をつく。
「日本は凄いな。表と裏はどんな国にもある。ただ日本は殆どが表なんだな」
 情報社会の光と影。
 でも、そのお蔭で会えたのだから文句を云ったら罰があたるかな。

 父は笑っていた。俺もつられるように笑った。
「今いくつだっけ?」
「19です」
「じゃあ来年、みんなで酒を飲もう、必ず」
「はい」
 父が右手を差し出した。俺も手を出すと、父から手を掴んできた。大きな手だ。俺ってホント小さいなぁ。
「竹瑠。君はお母さんに似てるのかな?」
「まんま、そっくりです」
「じゃあ大丈夫だ」
「だから、そう言ってるでしょ。それより大変ですよ。あの人を連れていくと」
「ええっ?!」
「ま、せいぜい頑張って」
 俺は、そこでウィンクをした。

 父は、その日の便を二本遅らしキャンセル待ちでチケットを取った。
 一緒に帰る予定だった同僚には事情を話し先に帰国してもらった。空港でいきなり話をして驚いている間に機上の人となったおかん。口では、どうしよう、ホントにいいの、と繰り返していたらしい。
 その後、パソコンだ、FAXだと俺は荷造りに大忙しの日々。
 あの日のレポートは結局仕上がらず、教授の情けで2日待ってもらって終わらせた。

著作:紫草

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