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『風雪』

第8章 莉一

『お前は父親を無能だと思っているのか。捜査をすることがなくても、俺は警察署に勤める人間だぞ』
 突然、消えた息子を捜したい。そう思った。捜査など素人同然、それでもコネはある。矢谷莉一は仕事の合間を縫って莉玖を捜し始めた。彼が姿を消して三日が経っていた――。

 妻の郁代がちょうど実家に帰っていたこともあり、自由になる時間が少しはとれた。知り合いから知り合いへ、伝手を辿り確認してもらう。休みの日には実際に出かけて行く。
 山梨の県境まで追ったところで情報は途絶えた。
 莉玖、お前は何処にいる――。お前の不在を思い知るにつけ、やっぱり無能な父だったなと思わず自嘲してしまう。

 始まりは何だったんだろう。隣同士になった二軒の家が、あまりによく似ていたから引かれ合い更に反発したのだろうか。
  莉一と違い赤川義樹にとっては実子だった。どうして基義は誤解をすることになったのか。葉月にしてもそうだ。義樹が郁代と不倫していると思い込むなんて、どう考えてもあり得ないだろうに。でも夫を刺してしまうほど愛していた。彼の子だというだけで引き取って育てるなんて普通はできない。
 ただ、そんな感情の揺れ動きが子供たちに影響を与えてしまったのか。皐月が実玖に向けた憎しみは、本来反抗期として母親に向くべきものだったのかもしれない。同じ年子の兄妹。莉玖と仲がよかった基義が皐月を嫌っていたことに、もっと早くに気付いてやっていたら。莉玖と実玖を見ていたから兄妹仲が悪いなどと考えもしなかった。それよりも莉玖の実玖への恋慕の方がよほど問題だと思っていたくらいなのに。
 それにしても莉玖の精神力は大人顔負けだ。そして実玖も。莉玖を守る為なら苛めすら口を閉ざす。本当に想い合っている二人だったことに莉玖がいなくなって改めて気づかされた。

 郁代が出産を終え、実玖も一緒に帰ってきても莉玖は戻ってこなかった。皐月は処分を受け少年院女子に送られ、赤川義樹が退院してきた。彼は今、基義との関係をやり直している最中だと話す。図らずも莉玖の実母が見つかることになったのは基義のお蔭だ。自分の友人だとついた嘘を訂正する日はくるのだろうか。
 現在、荻野家とは莉一もつき合っている。あちらは莉玖の不在は承知の上で、莉玖を捨ててしまった経緯を教えてくれた。そして矢谷の家になら任せられるから、引き取るという話はしないとも。ただDNA検査だけはした。残っていた莉玖の髪を提出し母子だと認められている。
 ほんの少しでも一緒に暮らした莉玖の弟になる亮介が、基義を慕って会いにくる。ここでも血のつながりなど関係がないと思い知らされる。莉玖が戻ってきたら男兄弟として三人で話せたらいい。
 多くの人がそれぞれの思いを抱え生活をしている。隠したいことだってある。でも誰もが幸せを夢見ているものだ。

 小さな子の成長は早い。
 義母が手伝いに来てくれて助かった。このまま一緒に暮らそうかという話もしたが、香苗は落ち着いたら家に帰ると言った。
 実玖は大学に進学し、あの事件からずっと守ってくれた箱崎直哉と付き合っているようにも見える。本当のところは分からないが、郁代とはそっとしておこうと話している――。

 実玖と汐莉の姉妹の名を繋ぐ莉玖。
 ベランダに出て夜空を見上げた。莉玖が消えて五年になる。

 ……息子よ。帰って来い。

 立冬も過ぎ、娘たちは親たちに渡すクリスマスプレゼントの心配をする時期になってきた。汐莉は毎年、どんなプレゼントがいいかを実玖と相談して決めている。昨年は家族の絵を描いてくれた。今年は何だろう。そんなことが楽しいと思えるのが冬の良さかもしれない。

 実玖は来春、卒業する。
 莉玖がいなくなってから彼の名を聞くことは一度もない。決して忘れてはいないだろうに。
 就職は早々に決まっていた。バイトをしていた近所の工場で事務職に雇ってもらえたからと。すでに仕事を始めていて、入社式だけは四月だってと笑っている。 学校も四年になると単位も取り終えてしまって登校する必要がなくなり、汐莉の世話もあることから自分なりに考えて決めたようだ。

 実玖の助けは絶対に必要だ。
 特に義母が帰ってしまってからは何かと助けてくれる。莉玖を失ったショックで精神的に参ってしまった郁代は、今度は実玖がいなくなったらという恐怖と闘っている。そんなことはないと、どんなに伝えても心が拒否をする。
 何事もないように過ごしていても、どこかで燻る火種を抱えている。精神的な病名は郁代を追い込むだけなので伏せているものの辛い。

 そんな中、莉玖の二十三歳の誕生日がきた。十二月二十八日。恒例になっているケーキを買うために、仕事帰りにいつもの駅前のケーキ屋へ寄る。仕事納めでもある年の瀬、街は賑わっていた。そこで記憶のなかにある莉玖の背中を見たような気がした。
「莉玖?」
 慌てて追いかける。そこに義母が立っていた。
「お義母さん」
「莉一さん。ごめんなさいね。莉玖をお返しするわ」
 柱の影から現れた青年は、大人の男になった息子だった。思わず駆け寄り抱きしめる。自分よりも身長が高くなっていた。

 三人で家に向かう。歩きながら義母の話を聞いた。
 莉玖は義母が実家に匿っていた。よく五年もの間、見つからなかったものだ。そう言うとそりゃ突然来られた時は窓から逃げたさと笑っている。大検を受け実玖と同学年で大学に通っていたらしい。
 卒業まで実玖に逢うことなく、自分の気持ちに向き合う。そしてそれでもまだ実玖を好きなままでいられたら、認めてやるという約束だったのだと。
「気付いたら、私の方が莉玖を離したくなくなっていましたよ。郁代があんなに苦しんでいることを知っていたのに」
 酷い母親ねと苦笑いを浮かべ、そしてもう卒業まで待つ必要はないでしょう、莉玖の想いは本物ですよと言う。そんな義母の言葉が嬉しかった。
 様々な事情は義母を通して、ほぼ彼には伝わっていた。それでも連絡を断っていたのは大人になるのを待っていたのだと。世間に何を言われても立ち向かえるだけの強さが欲しかったと話す。

 思えば莉玖は中学生の時に永遠の伴侶を見つけたんだな。それは大人になった時間から見れば、何て純粋で美しかったのだろう。何だか胸がいっぱいで、言葉が出てこない。
「莉玖」
「何?」
 そんな何気ない一言にも喜びが込み上げてくる。
「みんな待ってるよ」
 うん、と頷き少し前を歩く。自分のバースデイケーキを運ぶって間抜けかなと苦笑いをするが、なかなか楽しそうだ。
「帰ったら、まず何をしたい」
 何気ない一言だ。
「実玖の火傷の痕を消してやりたい」
 それは思いもよらない言葉だった。
 確かにな。実玖はどんなに言っても手術を受けることを拒否した。まるであの醜い痕こそが莉玖に繋がる唯一のもののように、愛おしそうに慈しむように日々撫でる。

 これからも、いろいろあるだろう。でもきっと大丈夫だ。みんなが互いの幸せを願っている限り、そして互いを想い合っている限り、家族というレールは続く。失敗したならやり直せばいい。隣との関係も郁代の病気も、そして二人の愛も、すべてはこれからだ。

「ただいま」
 莉玖の告げた帰宅の挨拶に、実玖が裸足のまま走り出てくるのが見えた――。
To be continued.

著作:紫草



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