vol.1
「古〜都ちゃん」
文化祭の準備委員会終了後、古都は会議室に残り役割分担表を仕分けしていた。
すると、そこに準備委員長が入ってきて、自分の名前を呼ぶ。
「あの櫻木先輩。どうして私のこと、古都って呼ぶんですか。いろいろ聞かれて困ります」
どういう訳か。
ある日、突然現れた櫻木篤志は、いきなり自分を古都と呼び周りを驚かせた。勿論、一番驚いたのは古都本人である。
その日から櫻木は、教室に現れては古都に話しかけている。
正直、恐かった。
小城乃の時も噂だけで、お呼び出しを受けた。あんな思いはこりごりだ。
でも櫻木は無頓着にやってくる。お蔭で文化祭の準備委員をする羽目になってしまった。
何故なら先輩が委員長をやることに決まっていたから。そりゃ文化祭が楽しくないと言ったら嘘になる。
でも、できればもっと簡単な役どころでいたかったというのが本音である。
いよいよ始まった準備委員の仕事も、いきなり櫻木の補佐になってしまった。決まったからにはできることは頑張るつもりだし、見ていれば櫻木と関係がないことも自ずと分かるだろう。それに今回は一つ考えてることもあった。
我が校の文化祭は一般人が参加できる。小城乃洸が、まりんを連れてこないかと古都は密かに思っていた。
いつもようにお昼休みに櫻木がやってきた。
流石に最近では、うちのクラスの生徒に限っては櫻木の登場にも騒ぐことはなくなった。
でも相変わらず、他のクラスの女生徒はわざとらしく廊下を往復する。古都は何だか居たたまれない気持ちになり、これまでずっと無視してきたのに、とうとう口を利いてしまった。
「私は先輩の取り巻きとは違います。準備委員会の事以外は遠慮してもらえませんか」
すると廊下にいた三年生が、どかどかと教室に入ってきて窓側の一番後ろにいた古都をいきなり引っ叩いた。
それからのことは、よく覚えていない。
櫻木が怒って、その三年の頬を同じように叩き、古都の手を取るとこの生徒会室まで引っ張ってきた。
別棟にある生徒会室は、お昼休みでも他の部室に集まるクラブの生徒で賑わっている中で、静まり返っていた。
中に通されると、生徒が一人机に足を投げ出して眠っているようだった。
「洸」
櫻木が呼んだその名を耳にすると、まだ胸が痛む。と同時に、そこにいるのが小城乃なのかと逃げ出したい気分になった。
でもあの日から二週間、全く姿を見ることのなかった彼がそこにいると思うだけで足は動かなかった。
「何だ」
足を下ろしながら振り返った彼もまた、古都の姿に驚いていた。
当然だろうな。
「悪い。じゃ、俺行くワ」
そう言うと彼はそそくさと出て行こうとする。
「待て。話聞いてていいから」
櫻木の言葉に、不本意にも足を止め彼は再び座り直した。
「古都ちゃんも座って。洸にも聞いててもらう方が話が早いから」
小城乃と古都は顔を見合わせる。
仕方がない。諦めて古都も折りたたんであった椅子を広げるとそこに座った。
扉から部屋の奥まで移動しながら、櫻木は話し始めた。
「最初に古都ちゃんの名前を聞いたのは、洸からだったんだ」
それを聞き、古都は思わず櫻木ではなく小城乃を見てしまった。
そして小城乃もまた、古都を見つめている。
そんな二人を見ながら櫻木は、淡々と話を続けてゆく。
「あの日、珍しく洸が頼みごとをしてきた。二年C組の教室から女子生徒を引っ張り出して欲しいって。何があるのか興味はなかった。ただ人に頼みごとをする洸を初めて見たから、助けてやりたいと思った」
あの日…
それって、もしかして…
「今更なんだよ。そんな話なら二人でやってくれ」
小城乃が突然立ち上がり、生徒会室を出て行った。
「短気な奴じゃないのにな。古都ちゃんのことだと、話にならない」
櫻木が、やれやれとおどけてみせた。
小城乃が出て行ってしまったことで、少なからず古都もショックを受けていた。
彼が好きだと気付いた時、まりんは彼の子だと思った。どんな事情があるにせよ、彼が育てる子の母親に気持ちがあるんだと思ったのだ。
失恋とも呼べないような恋心は、まだ心の奥でくすぶっているのに。
「私も聞きたいです。櫻木先輩、いったい何を聞かせようとしてるんですか」
「俺、女の子と一緒にいること多いけれど、自分から声かけたことないよ。自分から声かけたのは後にも先にも古都ちゃんだけだ」
そう言って真っ直ぐ古都を見る櫻木の瞳は真剣だと、古都は思った。
でも古都には、彼が何を求めているのか分からない。
自分はまだ、小城乃を忘れてはいない。たった今、すぐ脇を通り過ぎていった彼の匂いが、自分を取り巻いているのを嬉しく思っているというのに…。