vol.4
呼び鈴が鳴ったのは、深夜一時を過ぎた頃だった。
「遅くなってごめん。まりん、寝ちゃってるよな」
「熟睡です」
小城乃洸は苦笑いをしながら、部屋に上がる。
2DKの狭くて小さなアパート。母と二人なら、これで充分な広さだった。
「こいつ、笑ってる」
小城乃の囁くようなその言葉に、まりんを見る。
ほんとだ。何だか良い夢でもみてるみたい。
「ありがとう。今日は本当に助かった。それと、これ」
そう言って小城乃が封筒を差し出した。
「何ですか」
受け取って中を見ると、お金が入っていた。
「これ、何」
「バイト代」
「そんなつもりで預かったわけじゃないです」
言いながら、封筒をつき返した。
「お金なんて要りません。もう、これで貸し借りなしです」
貸し借り、という言葉は多少なりとも小城乃に悲しい顔をさせた。
でも他に、言葉が見つからなかった。
少しでも感動した自分が馬鹿みたい。
「連れて帰って下さい。校内でも、もう声かけないで下さいね。変な噂は困りますから」
古都の言葉に何も言い返すことなく、小城乃はまりんを抱き上げると帰っていった。
ごめんね、まりんちゃん。
小さな指との約束は、叶えてあげられない。
『朝ごはん。まりん、あっま〜い卵焼きが食べたいな〜』
その夜、彼女の可愛い声が耳について離れなかった。
「あら、もう起きてるの」
「おかえり、ちょっと早く出るから」
午前四時、母が帰宅した時、古都は台所に立っていた。
そしてお弁当を作り、すごく早めに家を出る。
昨日、道々聞いた小城乃の家。古都は手にしたお弁当箱を、大事に抱えて表札を探し始めた。
果たして無事に辿りつくかな。
不安な気持ちを打ち消しながら、同じ町内を歩いて行った。
ん? 泣き声!?
まりんちゃんの泣き声だ。
そう思ったら、古都は走り出していた。
「ここだ」
中から先輩を困らせる、まりんの声がする。
噂はホントにいい加減だ。古都のとこ程小さくはないが、ここもそんなに新しいとは言い難いアパートだ。
古都はインターフォンの前に立ち、ボタンを押した。
玄関を開けたのは果たして、まりんちゃんだった。
「おはよう」
すると彼女は泣きながら、古都の胸に飛び込んできた。
「古都…」
エプロン姿の先輩だ…
凄いものを見てしまった気がする。
古都は愚図るまりんを抱き上げて、お弁当箱を彼に差し出す。
「先輩、おはようございます。まりんちゃんと約束してたことがあったんです。甘い卵焼きを焼いてあげるって」
「おねえちゃん。まりん、おねえちゃんとこがいい」
首を絞めんばかりに腕を廻す彼女の背中をぽんぽんと叩きながら、卵焼き食べようかと声をかける。
少しだけ機嫌を直したまりんが、小城乃からお弁当箱をひったくると中に駆けて行く。
「おねえちゃんも早く〜」
そして部屋から顔だけ覗かせて、古都を呼ぶ。
「一緒に食べようか」
小城乃がそう言って、微笑んだ。
それは確かに、多くの女生徒を魅了する笑顔だと、古都は初めて思った。