『祭囃子』

第二章「秋祭り」

6

 流石に年の功だ。呆けてしまった俺とは違い、夕子は再び宮子を抱き締めていた。
「それが何だと云うの。宮子さんには関係のないことでしょう。何故今になって真実を云う必要があったのかしら。私は許せない、貴女のお父様を」
 珍しく夕子が怒っていた。おかしなもので、夕子の感情が昂ってくるとこっちは冷静になってくる。
 夕子の気持ちは解る。ただ幾つになっても女は女だ。そんなことを、ふと思った。
 宮子のお父さんはどうしてそんなことを云ったのだろう。もし同じ立場に自分が立ったら、それを告げるだろうか。
 男は重大な事実を告げる時、きっと感情的にはならない、否なれないと思う。それが持つ意味は何だろう。宮子は何故それを聞かされたんだろう。
 気付くと、すっかり落ち着いた宮子が顔を上げる。その表情は綺麗に笑っていた。

「落ち着いた?」
 と夕子が問う。
「おば様、有難う」
 夕子は宮子の頭を、子供をあやすように撫でる。
「あと一つだけ云わせて。私は許せないけれど、やっぱりお父様は貴女を大切にしていたと思うわ。親って、そういうものよ」

 その後、夕子がシャワーを浴びると云って出て行った。奥からシャワーの音が聞こえてくる。俺たちはリビングに二人きりで残された。相変わらず、互いの顔を見ないようにソファに座っていて、俺は少しだけ勇気を出して宮子に向かって座り直す。
「ねぇ、宮子は浮気で出来た子だから俺の前から消えたの?」
 宮子は黙って頷いた。
「莫迦だなぁ〜そんなの宮子に関係ないじゃん。そんなことで俺が宮子と別れると思ったのか?!」
「そやかて、光は不倫とか凄く嫌いやない」
「それとこれとは違うでしょ」
「同じやし」
「違う!」
 少し声が大きかったから、宮子は驚いて口をつぐんだ。
「ごめん。でも生まれてきた子に罪はないでしょ。この場合、宮子が罪のない子だよ」
 宮子ははっとして顔を上げ、何かを云いたそうにしているものの何も出てこないようだった。
「相談しろよ。何でもいいから」
「光…じゃ胸貸して」
 そう云うと宮子は静かに泣き始めた。
「漸く、俺の胸で泣いたね」
 宮子は小さくこぶしを作り、泣きながら俺の胸を叩いている。叩かれながら嬉しさがこみ上げてくるのを俺は痛い程感じていた。

 ふと夕子が立っているのが見えた。夕子は(よかったね)と目で合図を送ってくれる。
「夕子がいてくれて良かった」
「そ。役に立ってよかったわ」
 そう云いながら、キッチンへと消えた。

「プロポーズして返事もしないまま消えるんだからなぁ。いつかって言葉がいけなかったのか、とか、結婚の話そのものをしてはいけなかったのか、とか、悩みに悩んで結局消えた事しか判らなかった」
「怖かった。事実を受け止めるのも伝えることも出来なかった。私は逃げたのよね」
 宮子の髪を手で梳いて、あえて顔を見ないようにしていた。宮子の息遣いが次第にゆっくりとなってくる。
「はい、お茶」
「サンキュ」「有難うございます」
 夕子の入れた熱い玄米茶を、猫舌なの知ってるくせにと文句を云いながら冷ましている。自分はちゃっかりポカリを飲みながら、夕子が聞く。
「で、どうしてキャバクラなんかで働こうなんて思ったの?」
「上京したら無一文で、とりあえず先輩の所に泊めてもらってたんですが何日もいられないし。日銭をくれる所で働くしかなかったんです」
 俺は今度こそ本当に大きな溜息をつく。
「間に合ってよかった。とりあえず、ここにいたら? 俺は明後日の夜には戻らないとならないけれど、暫くは戻りたくないんだろ」
「ま〜ったく、この子は。昔っから自分が寂しいからってすぐに人様を巻き込むんだから。でも宮子さんさえよければ、そうする? そうは云っても私は殆ど帰ってこないけれど」
 親子の会話だか喧嘩だかを、笑いをこらえて聞いていた宮子だが急に話を振られて驚いていた。
「おば様の仕事って、そんなに大変なんですか?」
「夕子はね、医者だよ」
「お医者様。あれ、確かデザイナーをしてたって」
「うん。父さんが死んだ時、同じ思いをする人が少しでもいなくなればいいって一念発起。それから医学部行って医者になったんだ」
「かっこいい」
 宮子が、うっとりと夕子を見つめる。
「あっ、こら。お前まで医者になるなんて云うなよ。こっちの身にもなれって」

 ゴン!

「いってぇな〜。何すんだよ」
 俺の頭を拳で殴りその後宮子に向かい優雅に笑う夕子の顔を見て、俺は絶対コイツを魔女だと思うぞ。この顔にみんな騙されるんだ。
「そんな事ないのよ。本当にかっこいいのは患者さんたち。みんな理不尽に病気なんかに罹って、それでも病気と闘ってキラキラしてる」
 クッソー。俺は理不尽な痛みと闘ってるゾ。
「それより、本当にここに住むのならちゃんと家に連絡を入れなさいね。いつまで居てもいいから、お父様には話しておいた方がいい。もし私にも話して欲しいのなら遠慮なく云って」
「はい…」
「ちゃんと筋は通さないとね」
 それでも宮子の中にはこだわってしまうものがあるのだろう。その表情は不信を顕に描いている。
「本当にいいんですか?」
「何が?」
「私みたいの引き取って」
「気にしないで。元々私も転がり込んだ人間だから。お互い様よ」
「???」
 宮子の顔に疑問符が目一杯浮かぶ。

 逆襲だぁ。俺は、夕子が一番嫌がる言葉を吐く。
「おしかけ女房」
「女房って云うな〜」
 やっぱり、夕子は聞いた途端にバスタオルで襲ってくる。
 くっ、苦しい〜
「楽しそうでいいな」
 そう云う宮子に、タオルで押さえつけられながらも息も絶え絶え声をかける。
「なら尚のこと…ここにいなよ。夕子は誰にもこんな感じ」

「───そうそう、誰にでもってヤツの内の一人が俺───」

「あっ。冬馬、起きたのか?」
 声のする方へみんなが振り向く。すると、
「う〜ん。どうして俺はここにいるんだ!?」
 と冬馬の間抜けな答えが返ってきた。

著作:紫草

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