『祭囃子』

第三章「春祭り」

1

「ねぇ、ねぇ、聞いてくれよ」
 お袋が夕飯の支度をしてるとこに、帰宅するなり直行して声をかける。
「ねえってば」
「ちょっと待ちなさい。全く、これで学校の先生が務まるんかしらねぇ」
 ちょうど茹で上がった大根をざるに上げるところだった。冷蔵庫から缶コーヒーを出すと俺はそのまま食卓に座る。
 我が家は昔ながらの一軒家。流行の対面式のキッチンではなく、コンロを背に座ることになる。やれやれ、というお袋の言葉を聞きながら(ほっとけ)と思っているのも事実である。
「誰に似たのかしらね、その直情型」
「親父」
「そう?! お父さんは、もっとぉ」
「やめれ!そう云って惚気るのは。もう耳タコ。それより聞いてよ」
 俺は椅子の背もたれに左腕を乗っけて、横向きに座り直す。
「今日、学校へ顔見せに行く途中に道を聞いた女の子がいたんだけどさ。これが人形みたいに可っ愛いの。高校の場所聞いてすぐ答えてくれたから、きっと近所に住んでんだよな。また会えないかな〜」

 バン!

 後頭部にトレーが飛んできた。
「いってぇーな、何するんだよ」
「回想するだけやったら部屋に行きなさい。大きい図体して、お前邪魔やし」
 確かに狭い台所だ。百八十を越す俺が真ん中にいたら、やっぱ邪魔か。それでも!
「冷たいな〜 息子の恋人になるかもしれないのに」
「何が恋人や。そう云うて、まともに彼女のひとりも連れてきたことないくせに。そういうことは一人でも、まともに連れてきてから云いなさい」
 そう云いながら野菜が鍋にガンガン放り込まれていく。今日はおでんだね。
「へいへい。手伝うよ。何する?」
「じゃ、そっちのお鍋から肉じゃがを器に盛ってくれる?」
 と云って食卓に置いてある鍋を指す。
「はい」
 本当はごはん茶碗として使うだろう器二つに、肉じゃがを盛り付ける。この器は親父が懇意にしていた人からの貰い物だったと聞いたことがある。自分で作ったらしいけど、いいセンスしてるよね。立派な小鉢になってるもん。
「宝雪」
 急に、お袋が俺の名を呼んだ。
「ん?!」
 振り返り、お袋の顔を見る。
「明後日。お父さんの失踪認定が請求できるようになるわ」
 突然の一言。
 一瞬で空気が凍てつく。
 目を合わすことなくそれだけ云うと、またいつものお袋に戻った──。

著作:紫草

inserted by FC2 system