『指環綺譚』

「じゃあ、病院に行ってくるね」
 それだけ云って家を出た愛は、二度と再び私の処に生きて戻ることはなかった。
 婚姻届を提出する予定の、前日のことだった。
 おばあにも私にも一言も告げず、愛は忽然とその姿を消した。

 一ヵ月後。
 北海道警察から連絡を受けた時、愛は、すでに物言わぬ姿と化していた。

 あまりのショックに泣くことすら忘れ、私は愛を葬った。
 例え、どんな事件や事故に巻き込まれようとも、自殺だけはありえない、と信じていた私は最后に愛に裏切られた。
 世のニュースが、数多くの自殺を報道する度に烈火の如く怒っていた彼女は、自らの生をそのお腹の子と共に断った。雪に埋もれた彼女を発見した人が、こう話したそうだ。
「女神様が眠っていると思った位、綺麗な顔をしていた」
 と。

 遺書には、名前と私のこと、そして連絡先があり、おばあを心配していた。
 しかし、何が原因で死を選んだのか、といったことは何も書かれてはいなかった。

 その後も私は哀しみに暮れながら、おばあと二人、あの家で暮らした。愛の居なくなった家は北国を思わせる寒さだった。
 もしも愛が生きていたら、産まれたであろう子の予定日に、私は子供に名をつけた‥。


著作:紫草

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