『竜田姫』

 いにしえより人は四季を眺め愛で、我が者顔で山へと分け入る。
 此処、竜田の山も例外ではなく、紅葉が始まると多くの者たちが紅葉狩りと称し山を登る。
 秋。
 冬に向かう、ほんの少し前の優しい気候のなかに彼女は在った――。

≪姫様≫
≪ひ〜めさま≫
≪姫さま〜≫
≪お姫〜≫

 寧楽の山には様々な生き物が暮らしている。
 人の目には見えぬものから、守り神まで多種多様な者たちが棲まふ。
 いつの間にか、一年のうちのほんの一時期。秋と名付けられた季節にしか姿を見せなくなった神。
 彼女はその名を、竜田姫と云った。

『今年も秋がやってきたというのか。このような暑さの残るような、葉の色づきも醜いという折りに』
 山で一番大きな木の中に、姫は隠れ棲んだ。木々の精霊は彼女を温かく迎え入れ、共に在ることを心地良く思っている。
 それでも小さな声を聞き届け、木を抜け皆の前へと姿を現す竜田姫。
 動物たちも、魑魅魍魎たちさえも、ため息をつきたくなる程の美しい姫。彼女に遇えるというだけで秋を待つ者たち。
≪でも、ほら。人々が山を登って来るのが見えます≫
 小さな言霊を、精一杯、届ける精霊に竜田姫は山の結界を解いた。人には見えぬ、それでも確かに在る結界。

『人というのは、物好きじゃ。今年のような色づきを見にくる価値が果たしてあるものやら』
 結界の解かれた山道を、人は登ってくる。
≪やっぱり姫様はお優しい。そうは云っても、人をこの竜田の山へ入れてあげるのだから≫
 人でない異形の者たちまでが、口々にそう云った。

『吾は、まだましだと知っているからじゃ』
 竜田姫はそう云うと、この西の地より遥か遠くの東方へと目を向けた。
≪まし、とはどういう意味ですか≫
『佐保姫の司る春の山は、桜が蕾をつけ始めると昼となく夜となく明るく灯され続ける。酒に酔い大騒ぎする者たちの、桜が散っても終わることのない大賑わいを、佐保姫は黙って見守るのだと聞く』
 そう云った竜田姫は、少しだけ寂しそうに微笑んだ。
『それでも佐保姫は、毎年、山の結界を解いて人を招いている』
 云いながら、竜田姫は再び姿を消そうと歩き出す。

『誰が始めたのかは知らぬが、紅葉狩りとはよく云ったものよ』
 白姫が訪れるまで、山には誰が来ようと自由だと残し竜田姫は山奥へと戻ってゆく。

 四季。
 一番、空気の澄んでいると云われる秋は、彼女によって浄化されているのかもしれない。秋を司る竜田姫は多くを語ることはない。
 そして幾星霜――。
 その姿も知らぬ者たちが、この燃えるような一面の景色を山の恩恵とだけは知りながら、毎年、紅葉狩りを楽しんでいる…。
【了】

著作:紫草

NicottoTown サークル「自作小説倶楽部」より 11月分小題【山/紅葉】
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