『あしたも、風は吹いていたのに…』(完全版) 其の壱
next

 陰暦陸月。
 水の月。
 大好きな水のその月に、逝ってしまうことはなかろうに――。


[あしたも、風は吹いていたのに…]


 昭和二十年八月十五日。
 玉音放送が流れ、翌月国は降伏文書に調印した。多くの国民は戦争が終わったのだと思った。

 戦死の公報を聞きながらそれでも帰りを待つ家族たちのもとに、誤報によって本人が帰還する例は殆んどない。遺骨で帰ってきた者もまだいい。箱を開けたら石が入っていたという話もある。
 それでも石を届けてくれた人はいたわけで、当時の様子を少なからず聞くことはできた。

 男は出征した。
 村里とは少し離れていても盛大に出征の見送りはなされ、そして万歳三唱と共に彼はいなくなった。

 村は昔の名残りである村八分を恐れ、裏切り者を出さぬよう監視するために女の家にやって来る。
 当初は畑仕事も大変だろうと言いながら、野菜を分けてくれる者もいた。ただ陰では見張っている。いつ戦地から手紙や荷物が来ても分かるように、召集された男が逃げ帰って隠れていないかを探るように、優しい言葉のその裏に嫌らしい瞳を凝らしていた。

 若い夫婦の家は、少し大雨が降れば土砂崩れを心配しなければならないほど麓に近かった。逆にいえば田畑に使う水は潤沢である。そのため、一人きりの農作業でも米や野菜は余るほど収穫できた。
 戦況が怪しくなり村の一部に疎開してくる者が増えた頃、食糧に困った村人たちは女の元を訪れるようになった。一人暮らしにその食料は多かろうと最初は遠慮がちに、次第に大胆に持ち帰る。
 倉にあった保存用の野菜まで、気付けば底を突いていた。

 女は中学までは普通に通っていた。しかし次第に授業というものではなくなっていく。最後は戦争のどさくさに卒業証書だけを渡され、そのまま先生に町の軍需工場で働くよう伝えられた。天涯孤独の身の上だった女は、渡された一覧表を見て住みこめる工廠を選び、ここへとやって来た。
 男は、その工廠で働く技術者だった。どういうわけか、戦地に行くことはないからと話した。聞けば、大きな船の細かな部品を組み立てるとかで、いなくなったら困る筈の人だった。義母との三人暮らしも家族を持たない彼女には幸せなものに感じた。
 しかし、赤紙は届けられた。半狂乱になった義母に、大きな船に乗って修理をしてくるだけだと説明していたことを憶えている。
 悲しみに暮れた義母は息子の出征を見送った後、病臥し呆気なく逝った。広いとはいえない家だったが、たった一人残された女にはその心の空洞を現すように広かった。

 戦後、町には様々な仕事が再開され、また産業が興ったが女の戻る場所はなかった。
 彼女は独りだ。
 種籾が残っていたので変わらず田畑を耕し、時折通りかかる人には男の帰りを待っているように見えた。一方、村人は八月十五日を境に足が遠のき、女に蓄えがないと知ると行き来は絶えた。
 やがて女の様子を知るものは誰一人としていなくなる。
 星も見えない夜に、生きていると信じながら女は草に寝そべった。
(私にとって、本当の終戦はいつだろう。夫は帰ってこない…)

nico-menu next

著作:紫草

NicottoTown サークル「自作小説倶楽部」より 6月分小題【雨】
inserted by FC2 system