『 Vivid impression 』2(完全版)


 遠い昔。
 学校という場所は、とても身近で楽しいところだった。でも一度そこを離れてしまうと、暫くは手紙のやりとりが続いたとしても、いつの間にか疎遠になってゆく。
 幼心に、その淋しさを嫌というほど思い知らされた水谷楓雅は、引っ越すたびにその存在を完全に消すことを選んだ――。

 日本国内は元より世界各国を転々として暮らした。父と祖母、そして自分の三人家族だった。
 記憶のなかに母はいない。
 中学の時、どうして母がいないのかを初めて聞いた。父が言うには、付き合いのあった女が赤ん坊を連れてきた。そして、あなたの子供だから引き取ってくれと置いていったのだと。
 それを信じたのかと聞いたら、身に覚えがあったからなとだけ。当時は祖母もまだ元気で、昼間は面倒を見てくれたからとも話していた。

 思春期真っ只中。
 父との関係は微妙な年齢だったが、祖母がその数年前から罹患していた為、反抗している場合ではなかった。父の転勤について世界を回ったのも祖母のことがあったからだ。当時、DNAを調べようと思わなかったのかと聞くとそんなもの知らなかったと言う。
 でも、その時なら。生まれたばかりじゃなく、中学になった自分との関係を調べようと思えばできた。すると父は笑ったんだ。
『十五年も育ててきて、仮に血のつながりがないと分かったとして何が変わる。もう楓雅は私の息子なんだよ。たとえ戸籍が養子になっていても、私が育てた私の息子なんだ』
 そう言って――。

 その後、母の話題は出なくなった。祖母は内臓疾患で自宅療養が基本だった。転々とするのはよくないと分かっていても、頼る者がいない自分たちは一緒にいるしかないのだと聞かされた。

 どんなに短くとも、一年もいれば友達はできる。近所づきあいもあるし、孤立したまま暮らすわけじゃない。でも引っ越したら付き合いは続かない。だから、その土地にいる時だけの関わりをもった。それを後悔したことはないし困ったこともない。
 今だけを生きる自分に、思い出と呼べるものは殆んどなかった。

 大学だけは同じ国にいようと、高三の引っ越しでは珍しくアメリカに長期滞在することを決めて移った。それを待っていたかのように次々と様々なことが起こり始める。
 まず父にエアメールが届いた。そのことが発端で初めて母に会い、境涯を聞く羽目に陥った。
 名前もつけなかった楓雅を捨てて結婚したはいいが、子供に恵まれなかったそうだ。夫から養子の話を切り出され、どうせ他人の子を引き取るならばと楓雅のことを話したらしい。
 今度、渡米してくるから彼の話を聞いてもらえないかと言われ、近くのホテルに泊まっているとメモを残し帰っていった。

 祖母はもう完全な寝たきりになっていたが、それでもまだ自宅で療養していた。母の声が届いたのだろう。相変わらず自分の言いたいことだけ言って帰りましたね、と苦笑いをする。動けなくても頭はしかっりしていたから、赤ん坊だった自分を置いていった時のことでも思い出していたのかもしれない。
 そして、楓雅が決めればいいと言う。たぶん父は何も言わないだろうからと。楓雅があちらに行くと言えば、それに従うだろうねとも。
 本当かどうか分からないが、母は楓雅の本当の父親は違う人だと告げていったから。

 それから母と旦那さんの説得が始まった。
 どんなに大きな事業をしている社長なのか。土地家屋を含めた総資産が億を下らないとか、暫くは好きな道を究めてもいいので将来は社長になることが条件だとも。
 聞いていると、もうこの話を受けるに決まっているという感じの話し方だ。それとも金持ちというのは、何でも自分の思い通りになると信じているのだろうか。

 最終的な答えを聞きたいと言う場所に楓雅は自宅を選んだ。そして祖母の部屋に集まってもらい母に告げた。
「俺を育ててくれた、おばあちゃんです。そして親と呼ぶのは一人だ。今さら母は要らない」
 と。
 見ものだったのは旦那の方だった。こんないい話を蹴る楓雅がどんなに愚か者かをあげつらう。
 しかし父が一言で制した。
「楓雅の言葉の真意も解らない人を、彼は親と認めないだろう」
 帰ってくれと言った父に、父親なんかじゃないくせにと言い放った母は見っともないとしか映らなかった。

 結局、養子の話は流れ、その後母は離婚をしたと聞いた。楓雅と暮らしたいという書類を作って弁護士がやってきたが父にはそれを拒絶するだけの力があったようだ。
 そして、それから暫くして祖母は施設に入る。ホスピスだった。母が祖母の姿を見て、たった一言でも病状を聞いたり手伝う意思を見せたら楓雅の中の印象は変わったかもしれない。しかし彼女の口から祖母に関することは一言も聞けなかった。
 ただ情けないことに、そんな人でも母だった。当初、裁判をすることになると言っていた弁護士だったが、そんなこともなく逆に楓雅の意思に基づき決まった範囲での面会だけ認めるということで収まった。
 離婚しても相応の金額はもらったようで、年に一度、渡米すると言っていた。だが大学卒業か、祖母が亡くなるかの段階で楓雅は帰国することになっている。父がそろそろ日本に落ち着きたいと話していたからだ。そうなると年に一度ではなくもっと増えるかもなと言われた。
「親父はそれでいいの」
 そんな風に尋ねても父はいつも飄々として、お前の母親だと言うだけだった。

 父は医師だ。
 医師の不足しているところを転々と回る。このところは最先端の場所にいて落ち着かないらしい。
 日本でも無医村か、医者の常駐していない場所を探すらしい。

「本当は調べてたんだろ、親子鑑定」
 その言葉に、まあなとだけ。きっと祖母に聞かせたくなかった。だから敢えて調べていないと嘘をついたのだろう。
「俺、ちゃんと息子やれてる?」
「誰が見ても、私そっくりに育ったじゃないか」
 いつしか酌み交わす酒の酔いに任せ、親バカな科白を聞くようになっていた。
 確かに面白いものだ。血のつながりなどないのに、大学病院の誰に会っても、ドクター水谷の息子だと言われる。最初は日本人だから同じに見えるだけじゃないかと思っていたが、その病院にはかなりの日本人医師や学生がいるのだ。どうやら、醸し出す雰囲気が似ているらしい。
 人の受け取る印象は様々だ。過去を切り捨てて生きてきた楓雅にもそれを思い出させる記憶がたった一つだけある。

 南風千紗。
 父にその話をすると、今度行ってきたらどうだという。
 あの町内の人たちは、みんな祖母に優しかった。そして何より千紗が好きだった。
 憶えていてくれるだろうか。ほんの一年余り、住んだだけの自分を。それでも何処よりもその記憶は鮮やかに蘇る。
 父と同じ医学を学ぶ楓雅はまだ学生だ。千紗は大学まで進学したとして、日本なら来春に卒業という時期になる。

 あの辺りは一戸建ての多い住宅地だった。住所は同じままかもしれない。
「手紙でも出してみたらどうだ」
 そして戻ってきてしまったら、それから捜しに行ってもいいだろうと父が言う。
 エアメール。
 母から届いた時の手紙とは、まるで気持ちの違う手紙。これまで全ての友人たちと断ってきたそれを自分が書く。
「書き出しに悩みそうだよ」
 そう言ったら、あいらぶゆ〜 って書いとけと笑われた。お前も、もうちゃんとした恋愛をしろと。
 親のことがあったから敬遠したい気持ちもある。女を信用できないという感覚も残っている。でも、それじゃ駄目だ。
 他の誰かではなく彼女だけを忘れられなかったのだから。楓雅は遠い記憶のなかの千紗を想い、真白な便箋を前にして彼女だけへの気持ちを綴る――。
【了】

著作:紫草

NicottoTown サークル「自作小説倶楽部」より 2014年9月分小題【手紙】

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