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『冀望』1


 今年も彼岸がやってくる。
 恋女房を早くに亡くし、今は両親と同じ墓にゐる。毎年、娘と息子がつきあってくれる。どんなに忙しくても、墓参だけは欠かさない。それが衣娜との約束だから――。
 木花景は、仕事人間だと皆が言う。確かに休日出勤を頼まれても断らないし、世界各国を回っているため殆んど休みがない。それは孤独の中で生きてきたからかもしれない。遊ぶという感覚や、家庭の暖かさを知らなかったからだろうか。仕事をしている方が、関わる人が多く賑やかなように思っている。

 まだ小さな頃に両親を相次いで亡くし、祖父母に育てられた。広島という土地が独特の土地であると知ったのは、大学で地元を離れた時だ。六年間、京都の大学と院に通った。学校で初めて広島出身だと言った時はそれほど感じなかった違和感は、GWから始めたバイト先で重く圧し掛かってきた。
 特に両親がいないというと、大変だと言われる。何が大変なんだろう。確かに親がいないのは普通とは違うのかもしれない。ただ、その言葉には何か別のものを感じる。そして、被爆をしたせいで短命だったのかと疑われているのだと知った時、世の中がどういう目で捉えているのかに漸く思い当たった。

 戦後何年経ったか。毎年のように報道され、被爆の影響ではなく、歴史の悲惨な様子を教えられる。なのに今でも、ある年齢以上の人のなかでは、広島にいた人間は被爆の影響を受けていると思われている。
 祖父母の知り合いには被爆して亡くなった人も多いし、影響も色濃く残っていると聞いていた。それはやっぱり一生ついて回る原爆投下という言葉と一緒に背負うものなのかもしれないと感じた。
 だからこそ大学を出たら地元に帰ろうと思った。一生背負うのなら、地元にいたいと。

 そんなことを考えていた頃は毎週のように神社仏閣を見て回っていた。奈良や京都の凄さは、その場に立っていると時間を超越してしまうような空間であることだ。
 そんな時、産寧坂から二寧坂に差し掛かろうかという所を歩いていた。すると、どう見ても修学旅行の小学生だろうという女の子が立ちつくしている。普通、小学生は団体行動の筈だ。なのに何故、この子は一人なんだろう。そう思うと目を離せなくなった。暫く待ってまるで動く様子のないその子に声をかける。
「迷子か」

 今にも泣き出しそうだと思っていたのに、彼女は少しだけゆっくりとした口調で肯定した。
「みんなと一緒に歩いていたのに、違うグループさんだったみたいです」
 そこで目が合った。可愛い。何とも表現しがたい感覚だった。
「どこを見てたの」
「清水寺です」
 そりゃまた、ずいぶん離れてから気付いたものだ。きっと清水の集合場所なんて決まってるだろうと連れていってあげると手を取った。彼女は躊躇うことなくついてきた。
 手を繋いだ瞬間、離したくないなと思う自分に驚いた。ひとつ間違えば不審者だなと頭の片隅で思いながら、それでも最後まで手を繋いだままだった。
 それから一月、彼女は手紙をくれた。それこそ、景には絶対に書けないようなちゃんとした文面だった――。

 どんなに優秀な学生が揃っているとはいっても様々な誘惑はあるものだ。近くの学校との合コンは、男女の出会いというだけでなく単純なサークルの集まりの時もある。それでも景はモテた方だと思う。当時、今ほど携帯は身近ではなく、少なくとも景は持っていなかった。
 住んでいたのは学生寮で、いろいろな大学の奴らがいた。特に同志社の岩原という一つ上の男と気が合って、彼が口説きたい女を含めてのグループ行動が増えていた。

 ある日、岩原の狙う女の友達だという女から、次に飲み会の幹事を引き受けたと連絡があった。不在の時の電話は寮のおばちゃんが伝言を届けてくれる。それを特に煩わしいとも思わなかったので、かけ直すと言われる場合でも、用事を聞いてもらっていた。中にはプライベートだと言われて切られることもあって、おばちゃんの機嫌を損ねてしまうこともあるのだが、概ね翌日にはにこにこと笑っていてくれるので有難い。

 彼女はすんなりと伝言を託した。だから自分に対して特別な感情があるなんて思わなかった。
 その頃、飲みに行くいつものメンバーは七人ほどになっていて、全員揃うのは珍しかった。岩原が四年になる前に彼女にアタックすると言いだした。遊びに行く女友達はいても、特定の恋人がいなかった景が一番誘い易かったのだろう。
 彼女とその友だちと、四人で飲みに行こうと言い出した。他の面々には今回は連絡せず突然決まったことにするという。結局、以前の幹事報告のやり取りが四人という少人数を決断させたようなものだ。

 うすうす互いの気持ちに気付いていたのだろう。飲み始めてすぐ、まだ酔いの回る前に岩原は彼女を口説き落とし、一緒にいた景と女友だち、山口さよりは世間話を続けながら消えた方がよさそうだという雰囲気になっていた――。

 衣娜との文通は月に一度くらい、返事を出す時もあれば、こちらから先に出す時もあった。
 小学生だった衣娜は中学二年が終わろうとしていて、そろそろ高校のための受験勉強を始めるのだと書いてくる。ただどうやら勉強は苦手らしく自分の成績で入学できるところを最初から選ぶといっていた。最初の手紙にはボールペンで書かれていた宛名が、この頃には筆ペンになっていた。流石に中味はボールペンのままだったが、その文字は優しく景を癒してくれる。
 四年になると忙しくなる。その前に岐阜へ行こうかと考えていた。

 試験も終わり、バイトの調整をして旅行の予定を立てていた。そんな景の知らないところで、自身の知らない噂が本物らしく広まっていっていた。気付けばいつも隣には山口がいるという状態が続いていたからだ。
 何となく嫌な予感がして、飲み会も行かないようにした。付き合っているというつもりもないのだから、変な噂を消したかったというのが本音だった。しかし景の選択は悪い方へ流れていった。

「結婚?」
 珍しく岩原と二人きりで飲んでいた時だった。突然、いつだと聞かれた。
「岩原さんが結婚するって話じゃないんですか」
「俺は卒業してからあっちの親に会いに行くことになってるよ。それより、中里から聞いたんだ。木花の方が先そうだって」
 中里とは同じ大学の学生だ。寮は違うが、飲み仲間会の一人だった。
「俺が誰と結婚するって言ってるんですか」
 景のその言葉に岩原は話を切り上げようとした。どうやら自分の勘違いだと言って。
「もしかして山口ですか」
「そのくらいの自覚はあったか」
 最悪だ。
 嫌な予感は的中した。

「俺、彼女とは一度もつきあってないです」
 ここで、はっきりしないと駄目だ。ずるずると惰性で流されてたまるか。
「手紙の彼女が本命なんだろ」
 岩原は、お前の顔を見てたら分かるよと笑った。手紙の彼女って、まさか衣娜か。思わず笑ってしまった。ただそのお蔭で確信した。衣娜よりいい女はいないなと――。

 暫くは山口との噂で居心地が悪かったが、岩原が上手くフォローしてくれたようだ。次第に元に戻り、岩原が卒業していくと寮にはまた新しい住人が入ってきた。
 春休みの予定はまだ決めてない。さすがに手紙を出して返事を待ってという時間が勿体ないと思ったので、初めて彼女の家へ電話をかけようと考えていた。
 そんな時だった。
 寮のおばちゃんが階下から景を呼ぶ。何だろうと思って下りていくと郵便配達員が立っていた。
「木花景さんに電報です」
To be continued.

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著作:紫草

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