完結篇 『純・潔』完全版


 春。
 卒業式を翌日に控えた夜のことだった。
 小林保志のマンションに縞木璃香、久保田泉、榊田敬一、そして森村俊輔という事件に関わった刑事が揃っていた――。

 母親も呼ぼうと言った榊田に対し、森村が反対した。本来、関係者だからといって警察に詳しい事情説明の義務はないのだ。それを明かそうというのだから、人は少ないに越したことはないらしい。偶然、榊田と同じ高校の出身で交流もあったことから教えてくれるのだ。
 久保田の父親の事件が発覚し、母親はあっさりと離婚した。彼女はもともと夫とは折り合いが悪かったらしく、久保田は母親に引き取られるという。
 不登校を続けた久保田の件は、榊田からの連絡を無視する形で放置した父親だが、母親には話が拗れていると説明していたらしい。

 今回はソファに森田が座り、向かい合う位置にみんなが一列で並んだ。
「まず全部を話すことはできないということをご了承下さい」
 森田が最初に念を押す。
 異口同音に同意すると、結果だけという言い方で久保田達治はカメラを仕掛けたことで書類送検されると告げられた。

 久保田は娘が水泳部だということを知らなかったそうだ。でなければ、カメラを仕掛けたりはしなかったという。全てを台無しにする行為を何故行ったのか。人は訳もなく愚かな行動を取ることがある。魔が差したと呼ばれるものだ。それは、どんな職業に就いていてもある。父親の理性も呆気なく陥落した。
 では久保田泉の写真をサイトにUPしたのは誰だ。
「それは生徒でしたよ」
 水泳部の一人が仕掛けられているカメラに気づき、その静止画像をスマホで撮影した。友達に話すとカメラはそのままにして、知っている人間ならこれが久保田だとわかるからと会員制のサイトにあげたらしい。
「その生徒の名前は」
 久保田が小さな声で聞く。
「言えません」
 だろうな。多分不起訴だろうし、未成年という隠れ蓑で転校すれば何事もなく過ぎていく。久保田の画像が一枚だけだった理由は分かった。映像をそのまま持ち去らなかったことだけが今は救いだ。

 一通りの話を終えると森田は帰っていった。
 重い空気を振り払うように久保田が言った。
「私は大丈夫。あの写真よりも、もっと綺麗になって絶対にわからないような大人になってみせる」
「泉ちゃん」
「久保田、何か不安なことがあったら何でも話を聞くから」
 榊田がそう声をかけた。もちろん小林も同じ気持ちだ。
 泣きそうになりながらも久保田は必死にそれを堪えているようで、榊田に向かって頷いている。そして五年という月日が流れた――。

 璃香はあれからすぐに大学進学、卒業そして就職し一年が過ぎた。久保田は高校に戻り何事もなかったように進級した。理系コースを選択したため、榊田がまた担任となった。警察が公表しなかったことで、学校長は関係のある教師にだけ詳しい内容を話し、職員会議ではカメラのことだけが報告された。

 両親の離婚と父親の犯罪は、久保田を傷つけたに違いない。しかし彼女は何も言わずに耐えた。水泳部だけは退部をして高校最後の大会には出なかった。それも辛い選択だったろう。
 どんなことでも相談に乗ると言いながら、日々の仕事に忙殺され殆んど話すことはできなかった。
 やがて久保田も卒業していき、この春、小林と榊田はまた新しい生徒を担任することになった――。

「お花見?」
 小林は今年度、隣の席になった榊田に声をかけた。
「声が大きいです」
 縞木璃香が週末に会おうと言ってきた。そこで榊田も来られないかなという。理由を聞いても、はっきりとしたことは言わない。ただ久保田泉も来ると伝えて欲しいと言った。
「話なら俺のうちに来ますか」
 どこかに場所を決めるつもりだった。榊田が自宅に招いてくれるというならありがたい。
「では桜並木のあるところを歩きますか。お花見を理由に誘うつもりだと言ってあるので」
 その後、榊田先生のマンションへ向かうことにしましょうと言い、璃香にもメールを送る。すぐに返信があった。土曜日は、お花見だ――。

 この五年で分かったことがある。榊田は意外と乙女チックなことを好む。だからお花見と言えば必ずOKしてくれる筈だと踏んだ。案の定、部屋まで提供してくれることになった。
 そう言いながら何の話をするのか、全く聞かされていないと打ち明ける。
「久保田とは連絡とっているんですか」
 卒業して四年だ。何故、そんなことを聞いたのか。自分でもよく分からない。
「今度会えばわかると思いますが」
 なるほど。その言葉で答えをもらったようなものだ――。

 久しぶりに見る久保田は、すっかり大人の女性になっていた。もともと大人びた感じではあったが化粧をしていることもあると思う。童顔の璃香の方が幼く見える。
 四人で落ち合って上野恩師公園を歩く。ほぼ満開だ。宴会をやっているグループもある。雨が落ちてきそうな天気でなければ、もっと人出は多かっただろう。
 それぞれの木の違いは日照時間の違いかな。どちらにしろ、この本数には圧倒される。桜が迫ってくる。
「夜になったら、もっと綺麗なんだろうね」
 前を歩く璃香が振り返り、そう言った。
「縞木は小林先生とまた来たらいいじゃないか」
 隣を歩く榊田が答えている。ちらっとこちらを見て、また二人で話し始める。
「あ。蝶々も舞ってる」
 楽しそうに歩く二人を見ながら公園を抜け、途中で食材を買ってマンションに向かう。
 いつの間にか、小林は璃香と一緒に歩いていて榊田は久保田といる。違和感のない二人に、ホッとした――。

 部屋に入ると女性二人はどんどん料理を作っていく。スパゲッティとマリネ、あとはツマミになる揚げ物と酒だ。
 食事をして近況報告を終え、漸く本題に入る。
「犯人に会った」
 久保田の言葉は唐突に始まった。
 彼女の就職先は母親の弁護士事務所だ。自分自身は弁護士にはならず、行政書士の資格をとったと聞いている。
 今更、何の犯人かを聞くまでもない。あの時、サイトに写真を公開したやつだろう。
「何処で」
 そう尋ねた榊田の声は震えていた。
「母の事務所に依頼に来たの。私は知らないけれど、やった方は憶えていたということね」
 その不自然な雰囲気に母親が気づき、全部話さなければ弁護はできないと断ると昔の話として謝罪したらしい。

「お母さんはどうしたんだ」
 黙っていようと思ったが、つい口を挟んでしまった。
「私に決めろって」
 久保田は榊田を見ている。
「受けたのか」
「うん」

 あっさりと、本当に何でもないことのようにあっさりと答えた。
 凄いやつだよな、久保田って。普通なら許せない。一緒に仕事をするなんて考えられない。それをする。
「どうして四人でいることを選んだ」
「怖かったから」
 卒業してもいつも相談に乗ってくれて、でもそろそろ終わりにしないといけないって思っていたと言う。
「終わり?」
「先生は、もう私から解放されるべきよ」
 久保田はそう言って笑った。
「いいのか、それで」
「はい。今までありがとうございました」
 え? ちょっと待って。何、別れ話になってんの。
「約束だったんです。私が犯人のことを本当に許せたら、先生から卒業するって」
 いつから、そんな話になっていたんだ。保志よりもずっと年上の榊田は、ずっと教師として接してきたというのか。
 もし最初はそうだったとしても、五年という時間はそんなに簡単に切り捨てられるものじゃない筈だ。

 もう高校生じゃない。この春、大学も卒業した。大人の関係でいいじゃないか。
「許せるのか」
「でなきゃ、お母さんに弁護頼んだりしないよ」
「そっか」
 いや。そっかって。榊田先生も何納得してるんですか。
「小林先生。大丈夫です」
 彼はそう言って微笑んだ。
 そうなの? 本当に大丈夫なの!?

「分かった」
 榊田は、彼女に向かって話し始める。璃香と気づかないうちに手を繋いでしまっていた。二人の一挙手一投足に視線を注ぐ。
「これで高校教師としての役目は卒業する」
 そこで彼は彼女の肩に手を添える。
「今からは一人の人間としてお前に向き合っていく。俺と付き合ってくれますか」
 刹那、久保田の瞳から涙が溢れた――。
【了】

著作:紫草

NicottoTown サークル「自作小説倶楽部」より 2019年3月分小題【蝶々】
『純・情』 Nicotto創作 List
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