『夏だけの恋じゃない』4


『天涯孤独という人に初めて会ったよ』
 鏑木若菜は先日、夫瑞希から娘の交際相手である白城修和の身の上を聞かされた。
 泉は、まだ知らないという。

 若奈の親も瑞稀の親も、まだ存命だ。親戚付き合いもあるし、仲のいい親戚になるとそのご近所さんまでおつきあいがある。天涯孤独という言葉は知っていても、自分に置き換えることはできなかった。
 奥様と息子の光流君の二人だけ。その奥様を亡くした後は、たった一人で光流君を育てていた。

『捜せば、白城さんのご両親は見つかるのかしら』
『いや。捨て子だったというから無理だろうな』

 働いている以上、社会との関りはある。保育園に通わせている以上、知り合いもいる。しかし身の上というのは、やはり肉親を想像してしまう。
 泉が知ったら、きっとあの子は別れられなくなるだろう。優しい子だから。光流君のことを思い、白城さんのことを想い、そして自分自身の想いを重く受けとめてしまうだろう。
 本当にいいのだろうか。

 若奈は、同じように高校生の時に瑞希に出逢った。
 純粋に好きという気持ちだけで良かった自分とは、事情が違うと認識した。まずは白城が泉に打ち明けるのかという問題もある。
 二人の付き合いがどの程度のものなのかも、よく知らなかった。高校生とはいっても、家にいることの方が多い娘だ。幼いと感じるところもあるような娘だ。できれば傷ついて欲しくはない。でも小さな子のいる相手との付き合いは苦労することが目に見えている。
 一応、大学進学を希望しているから、環境が変われば気持ちに変化も生まれるかもしれない。ただまだ二年生。純粋な気持ちが強い年齢だった。
 大人のようでいて決してそうではない年齢だということは、二十歳前に泉を産んだ若奈だからこそ分かっていることだった――。

『子供が子供を産んでどうするの。大学だってあるでしょう』
 母の言葉は今も耳に焼きついている。
 心配したのだと思う。瑞稀との付き合いを認めてくれなければ、家を出ると脅したようなものだった。それなのに、大学一年で妊娠してしまったのだ。
 子供ができないと苦しんでいる人からすれば幸せな話だと、当時病院に行って初めて知った。しかし十九の誕生日を迎えてもいなかった若奈は、どうしたらいいのか分からなかった。
 とりあえず瑞稀に打ち明けようと思い、病院から出たところで偶然、母の友達に会ってしまった。すぐに連絡され帰宅させられた。
 母は誰にも告げずに堕ろすように言い放った――。

『どうして、そんなひどいことを言うの』
 何故泣いているのかも分からないまま、若奈は母を責めていた。母の顔が暗く沈んでいることになど、まるで気づかずに。
 あの時、母は自分と若奈を重ねていたのだろうか。自分自身が通った道を娘が経験してしまうと怯えていたのだろうか。
 詳しい話は父から聞いた。母自身は何も話してくれなかったから。
 母は未成年で子供を堕ろしていた。そして子供の産めない体になった。父は全てを承知した上で結婚したという。若奈は養子だった。それでも未成年で子供を産んでいるよりはよかったと思っているらしい。妊娠の事実を告げた途端、相手は逃げたということだ。
 結局、若奈の場合は瑞稀があっさりと入籍をしてくれて、大学は休学。一段落ついたところで復学し卒業した。
 冷静になれば、瑞稀の年齢で妊娠を知らされて逃げるという選択はないだろうと思う。しかし母は自分の過去に囚われ、若奈自身も初めての妊娠に通常の判断力などなかった。

 若さとはそういうものだ。
 今、その真っ只中に泉がいる。若奈が養子であることも知らない娘が、白城家の重圧に負けることになったら自分はどうするだろう。
 母のように二人を別れさせると言うべきか。娘の想いを応援すると言うべきか。
 若い。
 とにかく泉はまだ若すぎる。

 バイトからの帰りを待ち伏せて泉を捕まえた。
「お母さん。どうしたの」
「ちょっとお茶していかない」
 若い頃、瑞稀と通ったジャズ喫茶が泉がバイトをする同じ街にあった。古いレコードを店主がかけている姿が好きだった。瑞稀はぎりぎり、レコードに針を落としたことがある。親がプレーヤーを持っていたらしい。でも若奈にはこの古いお店がLPレコードを見られる唯一であり、昭和の音を知る思い出の場所だった。
「お父さんとデートしてた場所?」
 泉は素直に喜んでくれた。そこで思い出話をした。

 当時、若奈は目一杯背伸びをして付き合っていたと思う。学習塾で働いていてくれたお蔭で、瑞稀の方が若奈に合わせていられた。そのことに気づくのは、もっとずっと後になってからだ。
 若奈自身が夏期講習の講師としてバイトをするようになり、更に距離が縮まった。好きだったから夢中だった。
「おじいちゃんとおばあちゃんには怒られたけれど、諦めるとか、別れるとか考えてなかった」
「お母さん!?」
「別れて、と言っても無理なのは私が一番わかってるから」
 ただね、と続ける。
 勢いだけでは現実の醜い場所を見落としてしまう。汚いところは綺麗なレースで覆い隠して、良いところは何百倍にも膨らませてしまう。
「せめて大学に入るまでは、将来に何も約束のない交際じゃ駄目かしら」
 泉は暫く何も言わなかった。
「良い曲ね〜」
 そんな言葉と一緒に、わかったよと返ってきた――。

 その夜。
 瑞稀に泉と話してきたと言ったら、彼は彼で白城さんに話してきたという。
「普通は母親が一番に反対しそうだけれどな」
「私には無理でしょう」
 ビールを飲みながら、はにかんでしまった。
「俺は白城さんに、光流君が納得することが一番だと話した。若奈自身が感じた血の繋がりにも似た感覚を、あの子が泉に感じてくれるのか。それが一番心配だからな」
 瑞稀はあの虫捕りの日から定期的に光流のお迎えや食事をするようになっていた。比較的、時間に自由があるため、また光流自身の希望もあって、白城家を訪れる。

 いつか光流が現実を知る時がくる。
 その時、あの子は反発するのか。それとも我々を受け入れるのか。どちらにしろ強要することはできない。彼の思いは彼自身のものであり、どんなに小さくとも、その時の気持ちが真実だ。
「あの子は賢くて、良い子すぎるんだ」
 それが怖い、と瑞稀は話す。父親だけで育っている子だ。我が儘を言ってはいけないと、幼心にも分かっているのだろう。
 若奈は二人目の子を流産した。その影響でもう子供は無理かもしれないと告げられ、実際できなかった。光流を見ると、自分の子として育ててあげたいと思ってしまう。
 我が子と恋人。白城修和が、何を優先するのか。泉を大切に思っていてくれるのは分かっている。しかし孤独の中で生きてきた修和が、最後にどんな選択をするかは分からない。
 まさか泉のことで、こんなに悩むことになるとは思わなかった。若奈がそうため息をつくと、泉本人がリビングに現れた。
「大丈夫。私はちゃんと周りも見えてる。お母さんのようにデキ婚なんてことは絶対にないから」
 そう笑った彼女の顔に、随分大人びてきたなと感じた若奈であった。

「高校二年の交際としては、いろいろ大変なこともあるだろう。学生にはテストもある。勉強は怠らない。大学の受験勉強もちゃんとする。相手は社会人だ。融通のきかない時もある。それを冷静な頭で考えていてくれ」
 瑞稀の言葉に、泉は素直に首肯した――。
【了】

著作:紫草

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