〜 once upon a time 〜
人間の瞳に映ることは殆どない、我々の姿。小人ではない。しかし人の大きさに比べると、明らかにそのサイズは小さい。
どこで生まれ、いつから居付き、そして誰と共に生きる存在なのか。それは我には分からない――。
この古い城には、代々の家族が住んでいる。
おじいさま、おばあさまと呼ばれる人。パパとママ。男の子。生まれたての赤ん坊。パパの兄弟姉妹。その家族。
数えたことはないけれど、このお屋敷にはお部屋がいっぱい余っているからと、少しずつ増えていき今では大所帯になってしまった。
おじいさまは、いつもニコ二コと笑顔を絶やさず、おばあさまはお小言ばかり。でも、みんなを大切に思っている。息子や娘たちを引き取りながら、どこかで嬉しいとも感じている。
「ヴぁり。そんな処で覗いていると、人間たちに見つかるよ」
妖精の世界にはパパもママもない。でも一緒にいるのは上下関係のある力のある者。今、ヴぁりはふぁどという男と、ふぇいという男の子の妖精と一緒にいる。
この城には、もう二百年になるだろうか。随分、丈夫な建物のお蔭で移ることもなく、時折妖精の出入りがあったくらいで時間が過ぎていった――。
ある日の夜。
珍しく春の嵐になった。
いくら丈夫な建物でも、少しくらいのガタはくる。おばあさまが寝室に入るまで煩く言う声が聞こえていたが、やがて静かになった。
ヴぁりは、少しだけと思ってキッチンに出ていった。
すると、そこに思いがけず人間がいた。
見られた!
大慌てになってしまい逃げようと思った時には、行方に大きな掌が現れ、そのまま掴まれてしまった。
この人は最近やってきた妹夫婦の一人息子。ハイスクールに通うと話していた。
逃げようともがくけれど、強くはなくてもその手の力は緩みそうにない。
「まさか妖精? それとも新種の虫か何かかな」
『失礼な。ちゃんと妖精だ』
「あ。しゃべった。通じるんだね」
しまった。
どうしようどうしよう。ふぁどに叱られる。
でも虫なんて言われたら、怒りたくもなるでしょ。いや、それより何故この人間には我の姿が見えるのだ。
「綺麗だな〜」
『我を離せ。人間に見つかることはあってはならない』
「そうなの? でも、もう見つけちゃったから。僕の部屋へ行こう」
彼は胸にヴぁりを隠すように持ち、歩き出す。
嵐の風の音が激し過ぎて皆部屋に籠っていたのか、誰に遭うこともなく彼は歩いていく――。
その部屋は東の外れの三階の部屋のようだった。
ここには来たことがない。困った。帰り道が分からない。それに、途中渡り廊下のようなところを通ったということは、外にある塔の方なのかもしれない。
『我をどうするつもりだ』
「どうもしないよ。一緒に居て欲しいだけ」
一緒にって。
何を考えているの、この人間は。
「僕はアサタ。君は?」
『ヴぁり』
「え? あり?」
『違う! ヴぁりだ』
「あ〜 ヴァリね」
どことなく違うが、まあいいだろう。
あれ、駄目じゃん。何、普通に教えてるんだ。
『すまない。忘れてくれ』
「何を?」
『我の名だ』
「無理だよ。もう聞いちゃったもん」
ま。そうだろうな。
『だったら、他の人間に絶対に教えないと約束して欲しい』
「分かった」
その返事が可愛かった。
困った。いつまでもこんな処にいてはならないというのに。
「どこに置いたらいいかな」
部屋の中をうろうろと歩き回りいろいろ見ていたが、アサタは結局ヴぁりをその手の中に持ったままだった。
『アサタ』
「何」
『逃げたりしない。我をどこかに下ろしてくれ』
「本当に?」
ヴぁりは、頷いた。こんな場で離されても部屋を出ることもできない。
彼は漸くヴぁりを机の上に下ろす。
「待ってて。妹の使っていた椅子があるんだ」
そう言いながらアサタは部屋の隅に積んである段ボールを開けている。
妹の椅子? そんなもの、どうするというのだろう。
しかし暫くして、それが人形用の小さな椅子だと分かった。
「これ、妹がよく遊んでいた人形のミニチュアなんだ。意味、分かるかな」
『分かる。座っていいのか』
「うん」
クッションが少し偏っていたが、なかなか良いもののようだ。
『妹はもう遊ばないのか』
そう尋ねたら、彼は少しだけ悲しそうな顔をした。
「そう。もう要らないから、ヴァリにあげるよ」
キッチンと寝室の二部屋あるミニチュアには、様々な道具も揃っている。布の巾着を開けると中からは人形も出てきた。かなり大きいな。
蒼い瞳の人形、何と言ったか。忘れてしまったが、金髪の栗毛は以前見ていたものによく似ている。
「ヴァリ。君には家族がいるの?」
だったら捜しているかもしれないね、とまた寂しそうな顔をする。
『アサタ。お前は何故、そんなに悲しそうな顔ばかりするのだ』
「僕には、家族がいないから。独りぼっちなんだ」
あれ。それは違うだろう。この春、ここにやって来たアサタはパパとママが一緒にいた。あれを家族というのではないのか。
「妹は死んじゃったんだ。難しい病気でね。いっぱい治療費がかかって、それでお金がなくなっておじいさまのお城に来ることになったんだよ」
でも、と彼は続けた。
誰も妹の死を悲しんではいないと。本当に辛そうな顔をして。
『分かった。我も家族はいないが、仲間はいる。仲間が見つけにくるまでアサタといよう』
「ホント?」
初めて見るアサタの笑顔は、とてもかっこよかった――。
そして、この後。
ふぇいが、アサタの部屋に辿りつくには一ヶ月以上の月日を要した。
アサタとの暮らしは楽しかった。彼は約束通り、誰にもヴぁりのことは話さず、部屋の中での自由はくれた。彼の部屋は広く居心地よく、よく本を読んでくれたり時には内緒で外を散歩することもあった。
逃げようと思うこともなくなった頃、ふぇいがやってきた。
『開けて、ヴぁり。ふぇいだ』
小さな囁きを、アサタは聞き取った。扉を開けると、そこにはふぇいの姿があった。
「とうとう着いちゃったね」
アサタは、最近はあまり見せなくなっていた寂しい顔をした。
『アサタ。我は、これからもお前に逢いにくるぞ』
えっ?
二人のクエスチョンが揃った。
そうはそうだろう。我々は人間に関わってはいけないのだから。
『これまでのようにはいかない。でも必ず来る。気付いたら扉を開けてくれ』
彼は黙って頷いた。
『泣き笑いは、あまりいいものではないぞ』
「そうだね」
ヴァリのお蔭で笑うことを思い出した、という彼をとても愛おしいと思う。でも人間の世界の愛おしさとは違う。
妖精は心が広いんだ。
「合図とか決めないの?」
『それは駄目。気付かなければ、それまでだ』
見つめてくる彼の視線に囚われそうだ。
人間相手に、こんなに想われ自身もまた想うようになるとは思わなかったよ。
彼はもう何も言わなかった。黙って、ヴぁりとふぇいを部屋から開放してくれた。
新緑の鮮やかな季節の別れであった――。
【了】