『ルーツ』 完全版


「家族はいいものだと知りたいから」
 楓山流禮(あきやまながれ)は自分自身の言ったその言葉で、自分の中では家族という集まりが稀薄なものにしか感じられないことに気づいてしまった――。

 何故、結婚したいと思うようになったのだろう、家族に良い思い出など全くないのに。
 今は適齢期という言葉も死後じゃないかと思うほど、友達にも同僚にも上司にも、誰にも結婚しろと言われることはない。もちろん結婚する者はいる。同じように独身のままという者も多い。女はいるが結婚はしないという者、同棲しているが籍は入れないという者、生涯独身を通すと豪語している者もいる。単純に出会いがなくて結婚できないという者も少なからずいるとは思うが。
 流禮はどちらかといえば、一人が好きだからという理由で人を寄せ付けないようにしていた。とりあえず突っ込まれない言い訳としては一人という単語は最強だ。
 真実は過去にある。それというのも自身の育った環境が酷過ぎた。人間不信に陥り、危うく引き籠もりになるかと思った時期もある。
 しかし引き籠もりというのは場所があるからこそできることだ。蓄えがあって、引き籠もっていても生きていけるだけの余裕のあること。家に感情をぶつけることができる人がいること。
 自宅に安らぎを見いだせない自分には引き籠もりはできなかった。
 だったら、と早々にマンションを買って家を出た。頭金は継父が就職祝いにと出してくれて、母には住所も教えていない。
 結局、母は再婚してからも流禮に対し暴力をふるい続け、継父が気付いてくれなければ、どんどんエスカレートしていったんじゃないかと思う。幸い義妹は無事だ。血の繋がりがないことで遠慮しているようなところが見える。ストレスは実の息子を叩いて怒鳴り散らすことで発散していたようだ。
 継父と義妹の話を聞く限りでは、現在は大人しくしているようだが、流禮の居場所は全員知らないことになっているらしい。もはや行方不明者扱いだ。
 それで良い。
 実家を懐かしいとも思わないし、行きたいという場所でもない。家族はいなくてもいいという存在だった。

 変化は、やはり桜庭(おうにわ)咲子との出会いだろう。
 彼女の博識は流禮には新鮮だった。テレビ番組の話、最近読んだ本の話、そして娘の話。どれも楽しくて、大人の人と話すことはこんなにも勉強になるものだったのかと思い知らされた。
 この人に育てられた子供はどんなにか幸せな人生を送っているのだろうと想像した。ところが初めて娘だと紹介された人。流禮は気付く、彼女の瞳の一つに義眼が入っていることに。

 ただ興味は義眼だからではない。
 彼女の人生を諦めたような雰囲気が、妙に自分とシンクロしているように感じたからだ。最初は三人での食事、次に映画、そして二人きりで会うようになった。
 桜庭紫織(しおり)、流禮とは二つ違い。いや、もうすぐ誕生日だと言っていたから三年違うのか。彼女となら一緒にいられるかも、と初めて他人と共に時間を過ごすことを考えた。

 金木犀の香りがする頃、交際を申し込んだ。無事にOKをもらい、初めてそれぞれの家庭の事情を知る。
 どちらも再婚同士の親なのに、その違いが歴然だった。
 初めての訪問が深夜だったため、改めて翌日訪問すると言ったら、このまま泊まっていけばいいと客間に通された。
 話している途中で弟の亨が挨拶に来た。彼は高校三年だという。
『あれ、就職してるって言ってなかったっけ』
 刹那、紫織が謝り出すと、彼が言葉を引き継ぎ、学生ですが起業しているので社長ですと答えた。
『社長』
「はい。これ、名刺です。よかったらどうぞ」
 見ると家事代行の仕事を請け負っている事務所のようだ。
「学校を辞めてしまった元同級生が、中退では碌な仕事につけないと話していて。だったら俺らで仕事を作れば良いんだとなって。同じ学校の三人でお小遣いを持ち寄って」
 凄いな。今時の子供は金を持っているということだろう。起業ができるくらいには。
「お母さんが家事を教えてくれて、初めは一緒に仕事に行ってもらったり」
 確かに桜庭なら家事代行は難なくこなせてしまう仕事だろう。
「そのうち現役引退した近所のおばさんがスタッフとして入ってみんなを鍛えてくれたんで、そろそろ一年なんですが仕事が切れることはないです」
 高校中退なら若くてフットワークも軽い。家の中にとどまらず、洗車や買い出しなどの雑用まで扱っているので老人にリピーターが多いそうだ。
 頭が良い。確かに大検を受けて進学するとしても卒業の二文字をもらうまでは時間がかかる。それまでバイトとして時間を無駄にしてしまうなら、就職する方が金銭的にもいいだろう。
「時給千円を払うことを目標に始めたんですが、お蔭様で粗利が増えてきました」
 一通り宣伝を終えたのか。彼はお休みなさいと退室した。改めて騙そうとかではなく、学生で会社の社長って短く説明するのが難しくて。そう言って困っていた。
 本人からの説明で十分だよと言っているのに、かなりの時間を費やして謝る紫織は可愛かった――。

 病気は眼底にできた腫瘍が小さい頃から時間をかけて大きくなったものだったという。もし父親の入院がなければ悪性化の発見が遅れて、今頃死んでいただろうとも。
「お父さんは命をかけて私を助けてくれた。だから一人でも生きていきます」
 何だか一人宣言されたようだった。
 抗がん剤治療はおよそ五年が第一段階だ。そこを生き延びれば延命率は群と上がる。今はまだ治療中。子供も産めないからと結婚は考えない方が良いと言われた。

 それならば問題はない。
 自分に子供が欲しいと思う気持ちはない。子供好きでもない。面倒見るのは義妹一人で十分だと思ってきた。
 二人だけでも良いくらいなんだ。ただ桜庭の母だけは遠ざけたくない。あの人といると自分が賢くなるような気がするから。そしてこの家族なら、自分でもやっていけるかもしれないと淡い期待を抱いてしまう。
 だから。
「将来は気にしないで、自然体でいこうよ」
 そんな言葉で始まった――。

 翌年、亨は所謂有名大学に進学し授業料は要らないよと言って退けた。特待生らしい。大したもんだ。
 クリスマスの飾りが街に溢れ始めた頃、流禮は誰かにつけられていると感じるようになった。
 そのことを紫織に話したら、彼女も同じことを言う。
 ストーカーという言葉を考えなかった訳ではない。しかし二人共となると話は別だろう。誰かに監視されているのだろうか。
 紫織は気味が悪いと言って、あまり家から出なくなった。

 それが唐突に終わりを告げることになる。
 ある日、紫織の実の母という人が訪ねてきて少し調べたと言ったのだ。あの違和感はこの人だと判明した。
「何か用ですか」
 流禮のマンションに来ている。紫織を呼ぶという話はしない。
 自分が何故家を出たのか、様々な言い訳とほんの少しの謝罪を口にする。その言葉は流禮に向けるものではない筈なのに。
「ここに紫織はいませんよ」
 途端に言葉遣いの変わるその人は単に金をせびりに来たのだろう。
 悪いな。そういう人種、嗅ぎ分けるの得意なんだ。
「二度と近づかないで下さい。お互い、もう違う人生歩いているんですから」
 彼女は人でなしと捨て台詞を吐いて帰っていった。実の母とはいえ、よく調べたものだ。
 流禮にも実の父はいる。生きているのか死んでいるのかさえも知れないが。縁を切っている書類を作った方が良いかもしれない。親は、もう必要ない。

 あの母親のことだ。これで終わることはないだろう。また関わってくるような気がする。
 それでも今は、ただ小さな幸せの中で暮らしていたいと思うだけだ。 
 冬支度を始めた街は、これから二人だけの時を刻む――。
【了】

著作:紫草

NicottoTown サークル「自作小説倶楽部」より 2020年11月分小題【冬支度】
『秋の夜長』  Nicotto創作 List 『泪』
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