『正鵠を射る』


 昼飯に飛びこんだ定食屋だった。
 サラリーマンが多く、一人だと告げるとカウンターをと勧められ、図らずも二人の女性に挟まれる形となった。メニューを見ることなく、壁に貼られるものから唐揚げ定食と頼んだ。
 暫くすると両サイドに料理が運ばれてきた。どちらも同じ生姜焼き定食だった。

 右側は二十代後半。お洒落をして仕事中ですというスーツ姿。染められた髪は緩やかにカールしている。
 左隣は三十代後半だろうか。仕事中とも遊びとも取れる感じの普通のおばさん。
 しかし二人が食事を始めると印象が全く変わっていった――。

 午後十時。帰宅すると一人の夕飯だ。
 母は待っていてくれるが、流石に一緒に食べることはない。ただ今日だけは話を聞いて欲しくて、座ってと頼んだ。

 昼間見た二人の女性のことを話した。
 食べ方一つで一人の人間の教養や品や、そして育ちの全てを見た気がする。
 母は少しだけ頷いて、そこに気づいた貴方を褒めるよと言ってくれた。

 それまで社食で同期や世代が同じの人と一緒になることは多かった。男性も女性も飲みに行くこともあったし。ただ何を見てきたのだろうと思うようになった。
 別に粗探しをするわけじゃない。
 単純に食べ方や箸の使い方、姿勢をこれまで気にしていなかったということだ。
 気になるという訳でなく、目がいってしまう。すごく綺麗にしてる先輩女性社員がいるのだが、彼女の箸の持ち方が駄目だった。同期にもこれまで比較的よく話す子がいたが、彼女も食べる時に肘をつく。今までは気にならなかったのか。
 箸を持ったまま相手を指したりすること、もしかしたら自分もしていたんじゃないだろうか。そう思うと不安になる。
 躾られていた筈なのに……。

 一度、人の見方が変わるとそれまでの人間関係も変わっていった。話題の豊富差が違うのだ。同世代でも人の輪の中心にいない人との会話が増えていく。彼らは自分の世界を持っている――。

「最近、変わったね」
 同僚から声をかけられた。以前はよく飲みに行っていた隣の席の山下だった。
「そうかな」
 自覚はあったが、あえて気づかない振りをして応えた。
 そうだよと言葉を続けられたところで、影山さんと呼ばれた。相手は庶務課の先輩だった。
「折原さん。珍しいですね」
 自分ではなく、山下が答えた。
 彼女はその声を会釈だけでかわし、少しいいかと廊下に出ていく。
「何かあるの」
「何だろう」
 言いながら席を立ち、折原を追った。

 廊下に出ると彼女が待っている。
「何でしたか」
「困っているみたいだったから。じゃ、また」
 言うだけ言って行ってしまう。
「あ、待って。今夜空いてますか」
「私はいつも一人です」
「じゃ。飯、行きましょう」
「承知」
 足を止めた折原はそう言って今度こそ離れていく。彼女は新しく得た友人の一人、を少しだけ越えている人。年は二つ上、一緒にいて楽しいし面白いし優しい気持ちになる。

 席に戻ると、山下が何だったのかと聞いてくる。席が隣というのは、なかなか厄介だ。
「交通費の請求、早く出してくれって」
 実際、先週出張した時の交通費の精算をしなければならなかったので、そう答えておいた。すると、そんなことをわざわざ言いに来るのは変だと言う。
「いいから、仕事しろよ」
 それを潮に仕事に集中し、やがて終業時刻が近づいてきたら、山下から飲みに行かないかと誘われた。
「先約ある」
 簡潔に答え、捉まりそうだったので早々に退社することにする。

 ビルの入り口を出ると折原が先に待っていた。
「すみません。今、連絡しようと思ってたんですが」
「いいよ。何処にする?」
 いつもの感じで歩きだす。
「少し飲みますか。それともがっつり飯行きます?」
「ご飯食べたいな。定食出してくれる処にしようよ」
 折原はダイエットという言葉とは無縁で、いつも美味しいものを食べようと言う。そりゃ気をつけてはいるんだろうけれど、こちらとしたらあれは駄目これは駄目と断られるよりは断然気持ちがいい。
「日本酒の美味しい店で、定食も出してる処があるんですよ。親父は少し強面ですが、味は保証します」
 そう言ったら、じゃそこに行こうと歩きだす。
「ごめん。どっちに向かう?」
「合ってますよ。こっちです」
 電車移動することを告げて、そして目的地へと向かった。

 小さな駅を出て、居酒屋が並ぶ道を歩く。そして大衆食堂の看板が出ている店へと入る。
 いらっしゃいませ、というおかみさんの大きな声が響き、親父は小さくいらっしゃいと出迎えてくれる。二人だと答えると煙草を吸うかと聞かれた。彼女はいいえと答え奥のテーブル席に通された。
「もっとおじさんの似合うお店かと思ってたわ」
 コートを脱ぎながら、そう言った。
「俺も最初に来た時には、外との差に驚いた」
 カウンターは狭い。四人分が並ぶ椅子と直角に折れた場所に一人分の椅子が並ぶ。あとは四人掛けのテーブルが六箇所。入り口に近い一箇所だけが煙草を吸ってもいい席になっている。最近は吸える所が少なくなったということで、禁煙にはせず残しているらしい。
 外は昔ながらの居酒屋という感じなのに、入ると小料理屋という趣に変わる。

 そういえば、あの定食屋もこんな感じの店だったな。だからかもしれないが意外と女性客も多かった。
 その話を初めて折原にしてみた。女性目線ではどんな感じなのだろうか。
「若い頃は着飾ることで自分に自信をもつ人が多いからね」
 でも、と話は続く。本当は所作の方が大事なんだということに、そのうち気づくことになるんだよという。
「折原さんが所作に気をつけるようになったのって、いつ頃ですか」
「うちは祖父母が煩かったからね。物心つく頃には言葉遣いも言われたし、高校になったらお茶を習い始めたからお師匠さんに躾けられた感じかな」

 彼女は手書きのメニュー表を見ながら、煮物定食を注文する。盲点だ。いつも肉ばかり頼んでいたから、そんなメニューがあることを知らなかった。
「美味しそうですね。俺も同じものにします」
 おかみさんに二つと頼んで、日本酒の銘柄を確認する。辛めの冷やでお料理に合うものを、と頼んで出してもらう。
「有名な銘柄よりも飲みやすいと思うから」
 と言われたのは、それでもそこそこ有名かと思う上善如水だった。

 定食を食べる前だからと、御猪口に一口だけと注ぎ合う。
「うん。美味しいね」
「日本酒はいつも決まったものですか」
「そうでもない。行ったお店のお勧めが多いかな。家にあるのはコンビニにも売ってるようなものだしね。あまり銘柄には拘らない」
 そして美味しいことが一番よ、と笑う。
 飾らない言葉だ。単純に素直に話す。それが響いてくる。

 人は不思議だ。
 視点が変わるだけで価値観も変わる。今、大事にしたいのは目先の綺麗さじゃなく、本質だと思う。
「こんな処で言うのも何ですが」
 影山の言葉に折原が視線を向けてくる。
「僕と付き合って下さい」
 筍を頬張っていた彼女の口が止まる。瞬きだけが多くなって、二人とも動きがなくなり数分。
「どうぞ」
 おかみさんがワインの小瓶を置いてくれた。プレゼント、と言いながら笑って去っていく。
「ありがとうございます。ご馳走になります」
 彼女が慌てて飲み込んで礼を言う。
 やった、とガッツポーズをすると折原が笑い出した――。
【了】

著作:紫草

NicottoTown サークル「自作小説倶楽部」より 2020年2月分小題【世代】
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