このお話は『花莚』の続編です
『staying at home』


 宮藤卓爾(くどうたくじ)、三十二歳。七年前、桜の許に見つけた妖と一緒に暮らしている。
 妖といっても、ちゃんと人間だ。ただ時折、本当に妖怪でも拾ったのかもと思うことはある。単に、天然とも言うが。本人は至って真面目に話しているからこそ笑えてくるのも事実だ。

 降矢花梨(ふるやかりん)、二十六歳。父親は大学病院のそこそこ有名な医師、母親はそこそこ有名な女優。兄弟姉妹はいないことになっているが、父親が若かりし頃に捨てた女性の許に兄がいる。 
 七年前、その兄の存在を初めて知り、その上、彼が父親と同じ病院で働いているという事実に打ちのめされた。母親は何も知らないと言うだけで、寂寥感に襲われた花梨は、夜な夜な桜の許に愚痴をこぼしにやって来ていたのだ。汚い言葉も持たず、誰かを責めることもできず、自分の身だけを追い込もうとしていた。
 卓爾が花梨と出逢ったのは、そんな夜桜見物の一夜だった――。

 今日も卓爾は日課の散歩に出かける。
 昼下がり。蕾む前の桜の樹は朝晩の気温差で季節を感じ、春を待って花を咲かせる。花が咲くと、やはり花梨を想う。
 家族の愛情を感じられず、逃げ出した女。卓爾を交えての話し合いを希望したが、時間がないと断られた。卓爾が引き取りたいと告げるも、問題ないと電話で言われただけだった。
 親から見捨てられたような状況でも、しかし花梨は変わらなかった。大学にも戻ったし、ちゃんと卒業した。女優の娘というだけでは噂にもならず、私生活が晒されることもなく、穏やかに過ごしていた。

 就職先は学生時代からバイトをしていた映画館のスタッフだ。一番多いのは劇場の清掃で、次は売り子。券のもぎりは先輩スタッフが担当することが多く、花梨は人が苦手だから掃除の方が楽しいと笑う。

 親のことを除けば、我々は楽しく暮らした。そう、一緒に料理をすることもあった。深夜のコンビニはアイスクリームを買いに行く。ただ本当は散歩の方が目的で、運動不足にならないようにと一時間くらい歩くこともあった。
 デートは近所の公園でいいと言うような子だった。忙しさにかまけて、その言葉に甘えてしまっていた。
 その気になれば、何処にでも連れて行ってやれたのに。

 今は四方を白い壁に囲まれた、それでも豪華な部屋にいる。病室というだけなら、まだいいだろう。大部屋だったなら、話をする人もいた。看護師もそれぞれの患者の為に出入りをする。その動きは自分の番でなくても、会話の糸口になる。
 ここは違う。
 親がここの医師だから。兄がここの医師だから。特権として特別室に入れられた。早三ヶ月。
 あんなに明るかった花梨はいなくなった。初めて逢った頃の、薄っぺらい言葉を並べる心のない人間に戻ってしまった。

「花梨。プリン買って来たよ」
 有難う、という言葉は聞こえる。でも機械がしゃべっているような感じだ。
「プリン、食べたくなかったか」
 少しだけ意地悪をしたくなった。
「え?」
「漸く俺を見たな」
 花梨は無言のまま、ベッドに起き上がる。

 心臓に欠陥が見つかった。本来、子供の頃に発見されてもよかったらしいが、何故か症状が顕著でなかった為、見過ごされそのまま大人になってしまった。
 異変に気づいたのは卓爾だった。顔色だったり、時折、心臓に手を当てている姿を目にするようになったりしたのだ。
 一緒に暮らし始め、最初の一年は本当の居候状態で、二年目になって付き合うことにした。
 空気のような存在が、いつの間にか当たり前を通し越し、在り続けて欲しい人になった。そんな卓爾ですら気づけた。
 父は医師ではない。医師が父親であっただけで、家族に医師はいなかったということだ。医者の不養生とはよく聞くが、家族を不養生にしてどうするんだという話だ。

「ごめんなさい」
「謝って欲しいわけじゃない。怒っていいんだよ。こんな所に閉じ込めるなと叫べばいい」
 見開いた瞳から泪が溢れた。綺麗な玉雫。
「花梨。お父さんが言ったからといって、黙って従っていなくてもいい。俺が責任をとってやる。本当にしたいことはなんだ」

 花梨は泣き続けている。嗚咽を漏らすわけでもなく、しゃくりあげて泣くでもない。ただポロポロと玉の雫が落ちていく。
「帰りたい」
 小さな呟きだった。
「聞こえない。もっと大きく言って」
「帰りたい! 卓ちゃんの所に帰りたい!」
 わかった、とだけ言って病室を後にした――。

「花梨、帰るぞ」
 次に特別室の扉を開けた時、卓爾は退院の手続きを全て終えていた。
「間違うなよ。お父さんもお兄さんも止めたからな。俺が我が儘を通しただけだ」
「わかった」
 それでも不安は残るよな。本当に帰ってもいいのかと聞いてくる。
「週に一回は通院だ。酸素吸入の機械も自宅に用意したし、俺がずっと一緒にいる。仕事は自宅で作業して、会社には月に一度出勤する。今はメールで送ることができるから便利だよ」
 だから仕事中は静かにしてろよ、と釘を刺す。

 何日振りだろう。
 花梨が声を出して笑った。
「大丈夫。卓ちゃんの方が黙っていられなくて、きっと私に声をかけてくると思うから」
 何だと。いや、しかしその可能性は高い。ここは黙って聞いておいてやろう。
「着替え、買ってくるか」
「ううん。あるものでいい。それより早く帰りたい」
「そうだな。帰り道、桜の咲いている所あるよ。見ながら帰ろうな」

 そしてタクシーには乗らず、歩きだす。
 病院の庭には多くの木々が植えてある。中でも桜は多い。同じ種類なのだろうが、日当たりの都合で咲き方にも違いが出ている。
「綺麗ね」
 立ち止まり見上げる花梨に合わせ、卓爾も足を止めた。彼女の横顔を見ながら、思わず目を奪われる。
 長い入院生活は彼女を本当に人間離れするほどの白さに変えた。そうしていると、まるで吸い込まれていってしまいそう。思わず、連れて行くなよと桜に向かって祈る。
 どんなに具合が悪い日が続いても、ベッドから起きることができなくてもいい。そこにいてくれるなら、それだけで。
「卓ちゃん。桜って売ってないかな」
 どうだろう。花屋に聞いてみるか。切り花ってわけにはいかないが、何かあるかもしれないからな。
 花梨は喜んで、少しだけ足取りが軽くなった。検索すると、盆栽があるらしい。風流なことだ。
 病院前でタクシーを呼び、運転手さんに近所の花屋に寄ってもらった――。

 メゾネットタイプの一階にベッドを下ろした。
 大家さんに許可をもらい、壁に大型のテレビを取り付けて、ベッドから見られるように設置した。
「映画、好きだろ。好きなだけ見られるよ」
 もともとテレビ番組はあまり見なかった。某有料サイトに登録して、その中から何本かを選んで見る。
「サイドテーブルを作ろうか。その桜、近くで見られるように」
「いいの?」
「そうじゃないだろ」
「あ。そっか。ありがとう」
 そう。それでいい。
 謙遜はいらない。花梨の喜ぶ顔を見ていたいだけだ。
 春はいい。全てがこれからだと思わせてくれる。暫くは家の中で二人きりだよ。楽しくすごそうな――。
【了】

著作:紫草

NicottoTown サークル「自作小説倶楽部」より 2020年3月分小題
 【覚醒生物(梅・桃ほか春の植物、蛙・熊・蝶ほか冬眠から目覚めた動物)】
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