『人形遣い』その拾五

 目指す三枝子爵所有の別荘は、老婆に教えられた場所に果たして在った。
 別荘手前の立て札には、Saegusaというアルファベットが刻まれている。
 孝哉は真っ直ぐに玄関へと向かい、出てきた使用人に告げた。
「花音に逢わせて下さい」
 と。

 使用人が慌てて家人を連れ戻る。
 結婚式に出ることのなかった孝哉を、ここにいる人間が認識できるのかは不明だ。案の定、その家人は孝哉を怪しんだ。
「申し訳ないが確認させて戴く。それまで隣の別荘にいて戴こう」
 孝哉自身も、その男が誰なのか分からない。下手に揉めて追い返されてはたまらない。大人しく使用人に付いていった。
 どうやら隣も三枝子爵の別荘なのだろう。
 こちらは客間のような狭さであることから来客用の離れと思われた。

「君」
 戻ろうとする使用人に声をかける。
「何でしょう」
「答えられないなら答えなくていい。ここに朝倉公爵が来ていると聞いてきた。確かかな」
 彼は何も答えなかったが、小さく一度頷いた。
「有難う」
 孝哉の言葉に改めて会釈をすると彼は引き上げていった――。

 食事が運ばれ入浴の仕度をされ、そしてベッドメイクをされる。
 今日中に逢うことができるのか。
 何ともいいようのない予感。孝哉の脳裏に、これまでのすれ違いが蘇った。
 これ以上待ってられるか。
 そんな思いで玄関に向かった時だった、呼び鈴が鳴ったのは。
 扉を開く、ゆっくりと。
 花音がいるかもしれない、そう思ったものの立っていたのは朝倉公爵だった。
 孝哉は部屋に戻り、ソファに座ることを促された。

「いろいろと失礼がありました。申し訳ない。よく来てくれましたね」
 彼は、そう言いながら小さな台所へ入っていく。
 そして湯を沸かし、お茶を淹れた。
「慣れておられるんですね」
 出されたお茶を前に、思わず口にした。
「ここではできる者が動くんです。最初は何もできませんでしたよ」
 朝倉公爵の言葉は穏やかだった。
 孝哉はどう切り出したらいいものか、思案に暮れた。自分の立場では、おいそれとは言葉がかけられない。
「先日、姉小路侯爵から手紙を受け取りました。孝哉君が何故ここにいるのか、理解しています」
 孝哉は、ただ黙って頭を下げた。
 此処へ来る前、父へ手紙を書いておいた。
 きっと、身分証明の代わりに孝哉が訪れることを教えてくれたのだろう。ひとつ間違えば、またすれ違ったかもしれない。
 しかし今は自分を証明してもらう為にはよかったと思う。
 そして無礼は承知で、と前置きし懇願する。
「花音に逢わせて下さい」
 と。

 朝倉公爵は、うんうんと頷いてくれるものの、すぐには返事をくれなかった。
 一度は口に出したのだ。後は待つことしか残されていない。孝哉は公爵の淹れてくれた湯呑みを手に取った。
「悪いが、すぐに会わせることは出来ないのだよ」
 公爵の言葉が木霊のように、繰り返し頭に響く。
 どうして。
 その一言が出てこない。
「暫く私の話を聞いてくれるかな」
 公爵は、そう云って上着の内側から煙草を取り出した。
 テーブルにあったライターから火を取ると、ゆっくりと燻らせる。

 逢えると思ったのに。
 今度こそ逢えると思っていたのに。
「逢わせてくれるだけでいいのに」
 孝哉の悲痛なまでの言葉を受け、公爵もまた大きな溜め息をひとつ吐き、改めて申し訳ないと頭を下げた。

著作:紫草

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