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Penguin's Cafe
『お祝い事のお客様』

 ♪カラ〜ン
 耳に心地好い、鈴の音が店内に響いた。

 ハーネスをつけた犬を引く娘が、扉の前で立ち止まった。
「ラン入れないんでしょ。私、ここで待ってる」
 扉を半分開いたままにしていた私は、慌てて元に戻し娘に声をかけた。
「喉が渇いたって言ったでしょ。自販機のジュースでいい?」
 うん、と娘が頷いたところで、お店の扉が再び鈴の音を響かせた。

「どうぞ、お入り下さい。左側の席の隣に彼にも座っていただきましょう」
 店主は、そう言って殆んど見えていない娘の傍らに佇む盲導犬を指す。そして娘がパッと輝くような笑顔を見せた。
「おめでとうございます。七五三参りですか」
 彼は、娘の手を引きながら声をかける。
 神社からの千歳飴を無造作に持ってはいるものの、盲導犬だけでなく七歳のお参り用の晴れ着は充分目立っているようだった。

「ご注文は何にいたしましょう」
 椅子に座ってメニューを見ていると、お水を運んでくれた店主が聞いた。すると少しだけ傷ついたような表情で、彼が娘に向かって話しかける。
「申し訳ありません。点字のメニューはありませんので、よかったら読み上げましょうか」
 私は慌てて断わると、グレープフルーツの生ジュースを頼んだ。
「お嬢さんのお名前は」
「奈央」
「奈央ちゃん、お腹すいてない?」
 そう聞かれて、奈央は明らかに戸惑っていた。私は助け舟とばかりに口を開こうとすると、片手でそれを制される。
「和菓子は嫌い? お干菓子は知ってるかな」
 彼の声が、とても優しく聞こえてくるからだろうか。
 奈央が、ゆっくりと返事を考えだしたのが分かった。
「お祖母ちゃんからもらって、食べたことあるよ。甘くて美味しかったから、好き」
「じゃあ、ジュースもグレープフルーツは後にとっておいて、抹茶味のミルクは飲めるかな。お砂糖入ってる甘いやつ」
「うん、大好き。冷たいの、できる?」
 彼は、勿論と言って席を離れていった。

「ママ。奈央ね、冷たいミルク飲みたかったの。お店のお兄さん、凄いね。奈央が飲みたかったの、どうして分かったのかな」
 本当にね。
 どうして分かったのかしら、ミルクが大好きな子だって。カウンターを見ると、優雅に動く姿が見える。
 すると、こちらだけでなく反対側にいるお客さんにも目を配るのが分かった。
 あゝ、そっか。きっと人間を観察することに長けているのね。
 何の相談もなく、メニューを決めてしまった私を見ていたのだろう。いつものことだから気にしていないけれど、奈央自身が何を飲みたいと思っているか、聞いてあげればよかった。

「お待たせいたしました」
 運ばれたお皿には、上品なお干菓子が二個乗っていた。
「奈央ちゃん。和菓子はまだありますので、もっと食べられそうなら声をかけて下さい」
 そう言われて嬉しそうに頷く奈央を見ながら、本当に良い七五三になったと思った――。

 大きな神社には行けない。
 盲導犬に対する扱いが、普通の人にはできないから。大勢の人が集まる神社は奈央にもランにも恐怖以外の何ものでもない。
 だから近所の、歩いて二十分ほどの距離にある八幡神社を選んだ。
 少し汗ばむくらいの好天に恵まれたお蔭で、奈央が喉が渇いたと言いだした。いつもなら自販機の缶ジュースで済ましてしまうけれど、今日は特別の日だからと目の前に現れたこのお店に飛び込もうとしただけだった。

「彼には、何を差し上げましょう」
 他のテーブルの用を終えた店主がランの前に座り込み、そう聞いた。
「ランって言うんだよ」
 すかさず奈央が答えた。それも珍しいこと。
「ランもいっぱい歩いたから、お水飲むよ」
 それを聞いた店主が、浅めの小鉢にお水を入れて持ってきてくれた。

 至れり尽くせり、とはこういうことだろうと思う。
「あの、この子のお友だちに、こういうお店に入りたいけれど盲導犬が一緒だと入れないって断わられた子がいるんです。もし今日が特別でなければ、連れてきてあげてもいいですか」
「どうぞ、お誘いの上お越し下さい。彼らは奈央ちゃんたちの目であり手足でしょう。片時もそばを離れたりしませんよ。ね、奈央ちゃん」
「うん!」

 近いうちに、みんなで来るね。
 でも盲導犬が何匹もいたら他のお客さんがビックリしちゃうから、最初は一人だけ連れて来るね。
 そう話すだけで楽しいのが分かる。私は奈央が、お腹の底から笑っているのを久し振りに見ていることに漸く気付く。
 嬉しそうな表情を見せて、奈央が店主に和菓子のおかわりをねだっている。そんな光景を見ながら、思わず目頭が熱くなってくるのを感じた。
【了】

著作:紫草

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