18
♪カラ〜ン
耳に心地好い、鈴の音が店内に響いた。
店内に入ると、イケメンのマスターがカウンター越しに『いらっしゃいませ』と出迎えてくれる。
私は、幼稚園から高校までの腐れ縁の幼馴染みの後についてカウンターの席に着いた。
「ご注文は何にいたしましょう」
いつものマスターの、いつもの低音の渋い声。カウンター越しに聞く、この声の為に此処に座るといってもいいくらい。
優柔不断な幼馴染みは何を飲むかを決めるのに、たっぷり五分はかかる。私は、いつもと同じようにさっさと自分の注文を告げた。
「マスター。私、ホットチョコね」
そしてそんな私の言葉を聞いて、散々迷ったあげく「じゃ俺も」というのが常だった。
でも今日は、いつまで経ってもその声がしない。
隣を覗き込むと、脇に置かれている小さなバスケットに目を向けている。
「どうしたの?」
彼は何も答えず、中に入っている小さなチョコの包みを指した。
「あ。今日、ヴァレンタインだもんね」
とマスターに向かって言うと、どのテーブルにも置いてあって、今日は好きなだけ食べていいのだと言われた。
日曜のヴァレンタインじゃ、学校で渡したい子には悲しい年周りだね。それでもチョコはチョコ。
じゃあ、とひとつ包みを取るとすかさず口に放り込む。
「美味しい〜」
思わず零れた一言は、彼の顔色を変えた。
何だろう。いつもと様子が違う。
「どうしたの。また告られて落ち込んでるの」
優柔不断でも、見た目は結構優しい感じの男子学生の彼は結構もてる。この季節は毎年、クリスマスを一緒に過ごしたいってとこから春休みくらいまでは誰か彼かに告白されて断わる度に落ち込んでいるのだ。
「そんなに簡単に言うなよ。今日がヴァレンタインだってことも忘れてるような実夏にはわかんないよ」
おや。珍しく強気の正志君でないの。
でも結局、のらりくらりと断わるんだから、告る女の子からすればお前は女の敵じゃ、とか言ってやりたいのに、言うと泣かれそうで言ったことはない。
「マスター。正志にあったかいウィンナ珈琲淹れて」
そう言うとマスターはふわっと笑って、カップを温める。
ウィンナ珈琲のカップは、普通のホットとは別なのよね。
その一連の仕草を目で追っていると、ふと正志の視線と重なった。
「今日は奢ってあげる。だから落ち込んでないで、元気出しなさい」
それはいつものノリと一緒。
でも、いつもの返事がない。ケーキもつけろとか、ヨーグルトアイスもつけろとか。
気になって、隣の席をちらりと見る。
「な、何よ」
思わず大きな声を上げてしまうくらい、正志の顔が近くにあった。
「どうして毎年慰めてくれるのに、彼女にはなってくれないの」
その言葉に、思わず呆気にとられ絶句してしまう。
怒ればいいのか、呆れればいいのか。それすらもわからなくなる。
「はい、どうぞ」
というマスターの声に私達の視線はカップへと移った。
「正志君。ひとつだけいいかな」
私は気持ちを鎮めようと、両手でカップを持ちクリームが溶けてゆく様を眺めていた。
「何でしょう」
そう言った正志の声は、さっきと同じ。穏やかだった。
「多くの女の子から告白されるばかりで、肝心なことを忘れてるんじゃないかな。実夏ちゃんは君の気持ちを一度でも聞いたことがあるのかい」
さっすがマスター。わかってたか。
そう、私達は幼馴染み。どんなに私が想っていても、何も言われない内はそれは一方通行の片想いと同じなの。
幼稚園も小学校も中学も高校も同じだけど、それだけなんだよね。
隣では、あれっあれっ、と繰り返す少しだけ気付いてお利口になった、お莫迦の正志が頭を抱えている。
「実夏。俺、お前のこと好きって言ってるよね」
ちょっと待ってよ。それを聞いてたら、こんなことになってるわけないでしょ。相変わらずとんちんかんなヤツ。思わず責めるように聞いてしまう。
「いつの話よ」
「幼稚園のお遊戯会の時」
「…」
流石に言葉を失って瞬きだけがやたらと多くなったけれど、やっぱり私は何も言えず正志の顔を凝視していた。
すると、ついぞ聞くことのないマスターの大爆笑が店内に響き渡ることになった――。
【了】