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Penguin's Cafe
『初釜』

 正月三が日。
 Penguin's Cafeは休業となる。そしてこの数年の恒例行事はオーナーの自宅に呼ばれ、初釜を催してもらうことである――。

 初めてオーナーの自宅に伺った時、悠々自適の暮らしを楽しむ有閑マダムなのかと思った。住所こそ店からそう遠くない住宅街ではあったが、敷地面積は優に三軒分はあるだろう。
 いちお初釜だから、ということで玄関ではなく庭を通って手を清め茶室への躙り口をあがった。
 家のサイズからすれば狭い部屋だ。茶室なのだから当然といえば当然だが。床の間の掛け軸や活けられた花にルールがあるなんてことも知らなかった。それでも紅白の花と、葉の緑の調和は素人目にも鮮やかに映った。

 作法は必要ない、というので最初はそのまま茶碗の中味を飲んだ。苦いものという認識しかなかった抹茶は、どこか甘さを感じる美味しいものだった。でもいきなり一気に飲み干すなんて、今から思えば何と無作法な振る舞いだったろう。
 ただその気安さが揃った皆に楽しいという感情を齎してくれる。気心の知れたご近所の人に混じり、老人特有の病気を抱えた親と妹も仲間に入れてもらって助けられている。初めて家族全員を呼んでくれた時は驚いた。特に両親が何か貴重なものを壊しては大変だからと断ると、壊れたら新しいものを買えるからいいのだと言われた。
 帰ってから初釜というのを調べると、自分のしたことが如何に無謀なことの連続だったかというのが分かった。しかし読んだだけですぐに身につくものでもない。今も見様見真似で少しずつ覚えている真っ最中である。

 オーナーは滅多に自分のことを話さない。
 だから毎年ここに来ると、少しだけ近づけるような気がしていた。そしてとある年の茶会で、神部雄一郎はたんに雇い主というだけでなく人間としての彼女を知ることになった。
 箱入り娘だと言えば聞こえはいいが、年を取ってからできた子どもだったオーナーは何から何まで父親に決められて育ったのだという。それでも母親の生きていた頃はまだよかった。高校時代には当時つきあっていたボーイフレンドを自宅に連れていったりもしていた。でも卒業間近に母親が病に倒れると、入学の決まっていた大学進学も諦めて看病と家のことをやっていたのだと。
 それまでもかなり横暴なことを言われたらしいが母親というクッションがあったため、互いに譲り合うこともできたのだろう。その母が長期入院すると、潤滑油が切れてしまったように父子の間に不協和音が生じるようになった。

 母は成人式の振袖姿を見納めにしたかのように、東京には珍しいほどの積雪があった一月の寒い朝、息を引き取った。
 父が縁談の話をしたのは、その死からまだ二週間も経っていない頃だ。そんな非常識な話を聞く気はなく、一度は家を出た。ところが数日しか経っていないのに簡単に見つけられた。縁談の相手が探偵を雇ったからだった。父とは旧知だというその人はそう年齢も違わない男で子どもこそなかったが先妻とは離別していた。そして探偵に連れていかれたのが、今の自宅というわけだ。

 父は裕福な暮らしだけが幸せだと言うような人だった。母が幸せだったのは、贅沢ができるだけの余裕があったからだと本気で思っていたようだ。人は育ったようにしか、子を育てられないのかもしれない。一人娘を貧乏学生に取られることが許せないと思ったのだろう。
 母の看病に明け暮れていた娘が、とっくに別れていたことにも気づかないで。そのくせ結婚の心配なんかして父なりに娘の幸せを考えてくれたのだろう。だから自分の知る男の中で一番いいと思う男を選んだのだと思うことにした。
 その友人の村アも結婚生活三年で呆気なくこの世を去った、一人で生きていくにも困らないだけの財産を残して。
 初めて聞いた彼の言葉は、戸籍は汚れていないというものだった――。

「これ、どうしたんですか」
 懐石料理も終え、膳を片付ける手伝いのため台所に入ると花びら餅が用意されていた。
「もしかして作ったとか」
 そう言ったら笑われた。それもいつになく大きな声で。

「雄一郎君って時々とんでもないことを言うね」
 長手盆に和菓子を載せながら、オーナーが笑っている。珍しいこともあるものだ。
「私、お菓子作れないの。だからデパートで買ってきた」
 背中を見送りながら、マジかよって思う。そう言われれば料理の差し入れは何度も経験しているが、洋菓子和菓子ともいつもお裾分けだとか、買ってきたものだと言ってたっけ。
「可愛い」
 とても年上とは思えない。それに彼女の人に対する優しさが、守ってあげたいって思わせるんだな。
「お兄ちゃん、お湯持ってきてって總子さんが」
 妹の侑にポットを渡しながら、今年も佳い年明けの初釜になったと思う雄一郎だった。
【了】

著作:紫草

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