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♪カラ〜ン
耳に心地好い、鈴の音が店内に響いた。
『いらっしゃいませ』
店主の低音が、心地良く耳に届く。
『Penguin’s Cafeへようこそ』
「ご注文は何にいたしましょう」
結構なイケメンのマスターが、テーブルに水の入ったコップを置きながら聞く。
「お酒は置いてないの?」
「紅茶に、ブランデーを入れたものでもよろしいですか」
「できればカクテルが飲みたいかな。でも、ないならいい。アイスコーヒーを頂戴」
そう言った、私の顔をマスターが見つめている。
「何!?」
「アルバイト程度のカクテルでも、苦情はなしでお願いします」
そう言って、彼はカウンターの奥に消えた。
思わず、目を瞠って彼の姿を追ってしまった。
「サバーカクテルといきたいところですが、流石に無理なのでショートドリンクです。ライムはないのでグレープフルーツで代用しています」
「どうして…」
テーブルに置かれたグラスに、思わず目を奪われた。
「そんな悲しい顔をされたお客様に、飲みたいと言われたものを出せなければ、私が此処に居る意味がありません」
それを聞いているうちにも、私の瞳には涙が浮かんできた。
確かに悲しい顔だったろう。何故ならたった今、七年つきあった男に振られてきたばかりだもん。
「少ししたら、アイスコーヒーをお持ちします。まずはお酒を楽しんで下さい」
暫くすると、彼はアイスコーヒーと白いお皿を運んできた。
そこには美味しそうなマカロンが、ふたつ可愛く並んでる。
「サービスです。今夜、最后のお客様に」
「お店は何時まで?」
「お客様が帰りたいと思われる時間までです」
思わず笑ってしまった。
「帰りたくないと言ったら」
意地悪く、口元が皮肉な笑みを浮かべようと動いた。
でも彼は、そんな私に向かい極上の笑顔を見せる。
「鍵を閉めて、夜を明かしましょう」
「嘘よ。飲んだら帰ります。どうもありがとう」
いえ、と小さな声が聞こえた。
そこにいる絶対的な気配と、素っ気無い空間に癒された。
きっと暫くは、立ち直れそうにない。
でも挫けそうになったら、このお店を思い出そう。美味しいカクテルとスウィーツ、そしてこの人の良いマスターを。
「また来てもいい?」
「勿論。貴女に笑って戴けるカクテルを、ご用意してお待ちしています」
言いながら渡された伝票には、アイスコーヒーの値段だけが書いてある。
「カクテルの金額は!?」
「特別サービスということにしておきましょう」
「でも…」
マカロンまで出してもらったのに。
「もう五年も前に、少し勉強しただけの腕です。お金はいただけません」
「分かった。じゃ私、ここのリピーターになる。珈琲チケット一綴り下さいな」
ところが彼は静かに首を振った。
「またのお越しを心より、お待ち申し上げております。チケットは、その時にお願いしてもよろしいですか」
私は、もう何かを言うのを諦めた。
この人は、今の私の気持ちを誰よりも分かってくれている。ならば気を使って振られた相手に笑ってきた私ではなく、自分の為に笑えるようになるまで待ってもらおう。
「必ず来ます。今度は、笑っている私を見て欲しいから」
楽しみにしています、という彼の声が優しく心の奥に響いた――。
【了】