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「月明かりの椛の下で」続編

『愛してる』1

「洋服と靴とバッグ、それで何が変わるんだ」
「だって綺麗な服で着飾ってる女の人、男の人って好きじゃない?」
 スタバでコーヒーを飲みながら、今、買ってきたばかりのワンピースを紙袋から出して当ててみる。
 似合う? という意味を込めて彼を見た。
「ああ、よく似合ってる」
 半分… それ以上の笑いを堪えて答えないで。
 たたんで紙袋に入れ直すと、隣の椅子に置いた。
「本当に似合ってるよ。今度、それ着てデートしよ」
 そう言って向かいの椅子から腕を伸ばし、私の頬をグッと摘まむ。
「もう。また、ふざけてる」
 あはは〜と声を上げて笑う彼に、私の頬は膨らんだ。

 キスから始まった筈の私の恋は、かれこれ一年こんな感じのままである。
 彼、柿崎渉は出版社の編集者だった。
 だから担当作家の都合に合わせ、あちこちと出没する。
 あの日も著名な作家から突然「待て」の命令が下り、あの公園で時間を潰していたのだと後で聞いた。
 高校生だった私は大学生となり、編集者なんて不規則な仕事をしているお蔭で変則的なデートをすることに問題はない。
 ただ最近、少しだけ不安に思うことがある。
 デートをしよう、と言ってくれるものの、本当に彼が誘ってくれたことは一度もなかった。

 言葉を職業にしている人だ。
 私自身も、ちゃんとした日本語が話したいと声を掛けた。
 正確に思い出すと「ナンパする」と言って携帯の番号を教えあったものの、一度もナンパされたことはない。
 つまり彼からの電話がかかってきたことは、一度もなかった。

 遊びにもならない、暇つぶしの相手なのかな。
 でも入学祝いにと万年筆をくれた。
 簡単そうで簡単じゃない、社会人との交際。私が電話をしなくなったら、彼は掛けてきてくれるだろうか。
 実は本気で、確かめてみたいと思った。
 私が子供に見えるのか、それとも、ちゃんと恋人にしてくれるのか。

 ただし問題が一つ。
 随分若く見えたけれど、彼は三十手前の二十九歳だったのだ。
 十歳も違うって、やっぱり妹連れてる感覚なのかなぁ。
 そう思うと気持ちが暗くなる。最近、やたらと多くなった溜め息の数、大人過ぎて喧嘩もできないって、やっぱり恋人って言わないかも。
 社会人ってずるい。
 結局、今年の夏休みは何処にも行けないまま終わっちゃった。

「実の梨、また何か物思いに耽ってる!?」
 すっかり冷たくなったコーヒーの中身を、彼は指差した。
「あゝ、冷めちゃった。そろそろ帰るね」
 私は立ち上がり、紙袋を肩にかける。
「じゃ、送ろう」
「ううん。電車もまだあるし大丈夫。今日は買い物つきあってくれて、どうもありがとうございました」
 下げた頭を、まるで良い子良い子するように、くりくりと撫でられた。
 やっぱり、子供かな。
 そう思ったら、じわっと涙が滲んできた。
「お休みなさい」
 碌に顔も見ないで、店を出た。

 追いかけて来ないのは分かってる。今までも、そうだったから。
 そろそろ、潮時ってヤツかな〜
 地下に入る入り口を通り過ぎ、そのままあの公園へと向かって歩き出した。
 最后にもう一度、あのベンチに座りたかったから。

著作:紫草

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