『嵐』

 ごうごうと唸る風が吹く。
 横殴りの雨。
 嵐。

 足元のアスファルトには、5センチのハイヒールがすっぽりと隠れるだけの雨が川のように流れている。
 傘なんて役に立たない。
 誰もが、ずぶ濡れになりながら、家路を急ぐ。
 一分でも一秒でも早く、冷たい雨から逃れたくて、暖かい家庭を目指す。
 帰りを待つ家族も、きっと心配して待っている。そんな気持ちに支えられて。

 だから、私一人が傘も差さずに歩いていても、変に思う人は誰もいない。
 有難い雨。
 有難い風。
 この嵐は私の為のよう?!
 私の目から、こぼれる大量の‘雨’は、そのまま頬を伝って足元へと落ちる。ぽろぽろ、ぽろぽろ面白いくらい落ちてゆく。

 たった一言でいいの。あの人に伝えて欲しい。

「ずっと、ずっと、愛し続けていたかった」
 と――。

 もう届くことのない言葉。想い。

 愛していたかった――

 いいえ。
 愛してゆくわ。
 いつか、再び逢える日まで。そんな日が来ると信じて。
 だから、お願い。私の記憶まで消さないで。
 貴方の生きた証しまで、どうか奪わないで…

 消毒の臭いの滲みこんだ私の体を、雨が洗い流してくれる。
 もう、病院へ通うことはないわね。
 貴方の体は、もう、この世には無いもの。
 でも、私は生きてゆく。

 貴方の分まで生きて、そして、二人分愛すると誓う。
 たとえ、この先、どんな困難な場面に遭ったとしても私は負けない。
 貴方を愛している、と胸を張って生きてゆく。
 私の方が、短かった筈の余命。それを飛び越して、先に逝ってしまった人…
 事故は嫌い。
‘さよなら’も云えないもの。
 私の為に言った「さよなら」が別れの言葉になろうとは――。
 貴方は優しかった。いつも、いつも。
 だからかしら。有難う、も言わせてくれないなんて・・。
【了】

著作:紫草

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