幾星霜。
桜の樹に宿り、人を見送る。
我、桜が精霊にあり。
冬。
その寒さの下で、樹は春を待つ。
それでも寿命が近づくと、樹は離れろと告げてくる。
精霊を失う樹は、一気に枯れ果てる。
我は、再び宿る樹を捜すため、最期の花びらを吹雪かせる。
悪戯で、小さな子供が枝を折った。
樹の悲鳴は、聞こえない。
その時、公園の近所に住む一人の老人が木に近寄り、幹に触れた。
「痛かったろう。小さな子供のしたことだ。許してやってくれ」
そう言う老人に、子供たちは「変な人」と口々に言って母親のもとへと駆けてゆく。
手折られた枝は、元には戻らない。
まだ若木であった、この桜木は最早、寿命が見えたのだろう。
老人が幹に耳を当て、擦っている。
そこへ枝を折った子供の母親がやってきた。そして子供のしたことの重大さも理解せず、毒気づく。
「何か文句でもあるの。子供たちが気味悪がってるの。やめてもらえませんか?」
老人は、黙って離れていった。
彼の遠くなった耳にも、母親たちの悪口は入ってきた。
「頭が変なんですって。嫌よね、ああいう人が近所に住んでるなんて――」
この老人は若い頃、櫻守りであった。
最早、誰も知らぬことであっても木々たちは伝え合う。木の中の受け継がれし、遠い記憶から。
『魔法の手を持つ櫻守だ』
と…。
寿命を悟った桜の若木は、彼の手に安らぎを感じ最期の春を迎えていた。
その老人が夜中、剪定ばさみを手に若木を少しでも楽にしてやろうと手入れをしていた。若木が少ない蕾を一斉に花開かせた夜である。
我は、その様を静かに見ていた。
その若い桜は、櫻守の気持ちを汲み取ってか。彼自身の寿命を葬送するように、一夜限りの花をつけた…。
翌朝、老人の冷たくなった体が若木の根元に横たわっていた――。
【了】