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『桜の樹に宿る精霊』4

 幾星霜。
 桜の樹に宿り、人を見送る。
 我、桜が精霊にあり。

 今日から桜祭りが始まる、と母からの電話に一緒に出かけることにした。
 車を出して、我が子を乗せる。
 後部座席のチャイルドシートに、嫌がる子供も多いと聞く。
 でも、うちの子はお出掛け大好き。これに乗ると何処かへ行けるとインプットされたよう。
「じゃ、遥ちゃん、行きましょうか」
「はい。れっつごお!だね」
 若干、イントネーションが怪しいが、まぁ良しとしよう。まだ二歳と半年だ。女の子のようによく話す元気な男の子、遥(よう)。

 母を拾い、桜祭りをしている小高い山へと車を走らせる。そして道を挟んで建つスーパーの駐車場に車を停めた。
 私自身が小さな頃からの恒例行事。このスーパーでお惣菜を買って、山に登る。
 上に行くと中腹は公園になっており、ほかにも多くの子供たちが遊んでいる。
 今年の桜は早かった。お蔭で、初日にもかかわらず場所によってはすでに八部咲きという感じだ。
 レジャーシートを敷き、買ってきた袋を置くと早くも顔を突っ込んで、中のものを出そうとする子…
「遥ちゃん、先に少しすべり台してこようか」
 しかし、そんな声は届かない。
「朝ご飯、早かったの?」
 食べたいと連呼する子を見て、母が言う。
「いつもと一緒だったんだけれどな。まだ十一時を過ぎたばかりなのに」
 母は早起きな上、朝食も早い。今から、お昼といっても困ることはないだろう。
 まっ、いっか。
「じゃ、先に食べちゃおっか」
 私のその言葉だけは、しっかりと聞こえたようである。
 ラッキ〜ラッキ〜、とビデオの中の決まり文句を口にして、はしゃいでいる。

 ひとしきり食べて飲んで、と納得すると、遥はおばあちゃんの手を引いてすべり台へと走っていった。
 残された私は、そこで、ついぞない静かな時間を過ごすことになる。
 周りは子供たちの声で賑わっているけれど、私の耳には届かない。
 私には時々、こういう瞬間が訪れる。そこにいるのに、いない感じ。見えているのに、見えない感じ。

 ふと背後に気配を感じ、振り返る。
 莫迦みたい。後ろには桜の樹があるだけだ。私は、それに寄りかかっているのだから。
 それでも気になって、暫く桜を見上げていた――。

 あれ。
 今、何か見えた。
 着物着た、綺麗な人…
 髪が長くて、女の人みたいだけれど、きっと男の人。ずっと昔、遇ったことがあるような気がする。

 でも、これを言うと、みんな気味が悪いっていうから言っちゃ駄目だった。
 大人になってからは、殆んど見ることのなくなった、変なモノ。
「久し振りに見えたな」
 そんな小さな呟きは、誰にも聞こえない筈である。

「おかあちゃ〜ん。おやま、のぼろおよ〜」
 遥が、再びおばあちゃんの手を引いて、今度は山への階段を登ろうとしている。私は慌ててシートを片付け、桜の木に声をかけた。
「綺麗な姿を見せてくれて、どうも有難う。上の桜、見てきます」

『おやおや、まさか姿を見られるとは…』
 樹の上で、精霊が微笑んでいる。
 いつも来ていた小さな女の子。暫く見ないと思ったら、おかあさんになったんだね。
 あの子は桜が大好きで、私の姿をよく見つけてくれた。
 今日、山を登ってくるのが見えて思わず気配を晒してしまったようだ。

 全然、変わっていなかった。あの小さな女の子。
 ゆっくり桜を愛でるといい。
 君の行く先々で、精霊たちが騒ぎ出す。
 そして君の産んだ御子であるなら、私たちは喜んで彼を楽しませる花を見せよう。

 その年の桜は、三寒四温の冬のような寒さのなかで、長く耐えて咲き続けた…。

【了】

著作:紫草

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