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『躑躅』2

 人が嫌い、そう紗依は言った。
 でも、それは事実じゃない。
 再婚同士の両親と連れ子の妹、そして腹違いの弟。次第に疎まれてゆく自分。
 決して何も言わない自分と、避けるように接してくる義母。
 大学だって家を出たかったから受けただけ。早く働いて家を出たい。ただ就職には困難な時期にあたった。
 いつしか、人から一歩離れるようになっていた。自分を透明人間のように見て欲しいと願った。
 それなのに…

「いいじゃん、人嫌いでも。ただ俺だけ好きになってくれたらいいよ。それで勘弁してやる」
 言われたことを脳が理解した時、紗依は思わず笑っていた。微かだが、確かに笑った。
「つきあってよ。絶対、嫌がることしないから」
 周りを白とピンクの躑躅に囲まれた、春。
 何故か、この花が咲いている時だけは心が優しくなる。それは皐月という名前のせいかもしれない。それとも単純に、春という気候のせいかもしれない。ただ少しだけ、花から勇気をもらったのは事実だ。
「小鳩さん」
「あ!それ、やめて。武でいいよ、というより武って呼んで」
 一瞬、意味が分からず言葉が続かなかった。
「俺のこのサイズに小鳩はないっしょ。大鳩になっちまう」
 そう言われて、漸く合点がいった。確かにこの人の背は高い。
 そして今度こそ、紗依は気持ちよく笑ったのだった。

「携帯、持ってないんだって」
「え!?」
 突然の話題の方向転換に再びついていけない。
 でも確かに携帯は持ってない。
「連絡したい時、どうすればいい?」
「ほんの少し前と同じ。留守番電話に用件入れてくれたら、こちらから連絡します。いちお外からも確認できますが殆んどしませんから、連絡できるのは夜ですね」
 分かった、と武は言って携帯番号をメモして渡される。何度も渡されて、帰れば二十枚以上のメモはあるけれど、結局黙ってもらってしまう。紗依の電話番号はというと、とっくに調べられていた。
「親たちがどんな恋愛してたか。少しは気持ちが分かるかもな」
「一つだけ」
 歩き始めていた武の背に、声をかけた。すると彼は足を止め、何?と振り返る。
「もし嫌いになったら誤魔化したり嘘ついたりしないで、本当のことを言って下さい。私には多分恋愛は無理だと思うから」

 暫し呆然と、という感じで彼は立ち尽くしていた。
 でもすぐに我に返ると、引き返してきて紗依の体を抱き寄せる。
「じゃ、お前も本当のこと言えよ。俺のこと、どう思ってる」
「好きよ。嘘は言ってない」
「いつから」
「高校の時から」

 冗談だろ、と武がベンチにへたり込む。紗依も隣に座った。
「私は、冗談は言えない」
「同じ高校じゃないよな。いっこ、下だし。どこで見てた」
「武さんの高校前の喫茶店でバイトしてたの」
 その時、春の荒々しい風が二人の間を吹きぬけた。思わず目を瞑り巻き上がる髪を押さえる。
「えっと、プランタンだっけ」
「あそこ、私の実家なの」
 武は、膝に顔を埋めるように突っ伏した。
「じゃあ、俺の好きの期間より紗依の方が長いよ」
 でも武は自信を持ったと、喜んで授業に戻っていった。帰りに此処で待っていると残して。
 紗依の講義は四時限までない。いつもの昼下がりだ。

 これからの時間がどう変わってゆくのか、それは分からない。ただ日々ここで語ったことも、今の告白も躑躅の花だけは知っている――。
【了】

著作:紫草

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