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『St.Valentine』

 昨年のバレンタイン。私は初めて男の人にプレゼントを贈った。
 手作りチョコ!とも思ったけれど、絶対無理だと親に言われ諦めた。
 でもささやかな抵抗で、市販のチョコを手作りの箱に入れてみた。
 ただ、これが半端なく難しい。絶対無理だと言った親は、流石だと痛感した。
 それでも彼は喜んでもらってくれた。ちゃんと“手作りじゃない宣言”もしたから無様な箱の意味も分かってくれただろう。
 あの後、彼は彫金を習ってホワイトデーにはペンダントをプレゼントしてくれた。世界で、たったひとつの手作りのペンダント。それにはファーストキスのおまけもついた。
 そして高校の卒業と大学の入学。
 あっという間に時は過ぎて、年が明けた。

 ――悪夢の数分間。
 私は元日未明、救急車で病院へと運ばれた。
 憶えているのは車のエンジン音がやけに大きく聞こえたことと、悲鳴。そして激痛。
 後頭部を縁石にぶつけたことで気を失い、気がついたらベッドの中だった。それでも検査結果は異常なしで、三日後退院することになった。

 和樹君と和希も、規一君と美紗のカップルも来てくれた。
 でも圭介は来ない。ううん、来られない。
 みんな一緒に初詣出へ出掛けたのにね。
 私と圭介だけが巻き込まれた事故。
 振袖を着ていた私がみんなから遅れたから、ちょうど突っ込んできた車になぎ倒された。
 圭介がどうしているのか、誰も教えてくれなかった。
 だから退院したその足で、圭介の入院している病院へと向かった。

「そんなしんみりするな。今は車椅子だけど、必ず自分の力で立つから」
 そう言って圭介は、出逢った頃にように笑った。
 誰もに向けられる優しいだけの笑み。私だけの笑顔はなかった。
 それから一月、街はバレンタイン一色になった。
 リハビリセンターに転院した圭介の処へ、チョコを持って出掛けた私。
 でも、そのチョコは受け取って貰えなかった――。

 素顔のままの圭介には、もう逢えないかもしれない。
 後で聞いたの。私を突き飛ばしたのは圭介だったって。それで自分が車の下敷になったって。
 圭介の家族と私の親が話し合って、もう会わない方がいいからと言われた。
 だって辛すぎるからって。
 お互いに自分を責めることになるからって。
 私には、どうすることもできなかった――。

 数年後。
 大学を順調に卒業した私たちは、次第に疎遠になっていった、職場で再会するまでは。
 圭介は一年遅れて学校に戻ったけれど逢うことは殆どなく、避けているつもりはなかったけれど避けられていたとは思う。二度と逢えない、という言葉が脳裏をよぎる日々。
 仕事の書類に、彼の名前を見つけた時の驚きと喜び。
 そして圭介に再会するために、私は動き出した。

 書類を手にドアの前に立つ。この扉を開けると彼がいる。
 どんな顔をすればいいのか。何から話したらいいのか。
 何も決まらないまま、私は接客用の部屋へと入った。
「久し振り。元気だった」
 そう言う圭介は笑っていた、出会った頃の素顔ではなく本当の圭介の顔をして。
 心底驚いた私は、すぐには何も言うことができなかった。
「今度の義足の担当、紗和だって?」
 私は溢れてくる涙をこらえることで精一杯だった。何度も頷くけれど、言葉は出なかった。
「また随分、毛色の変わったとこに就職したもんだな」
 応接室の椅子に優雅に座る圭介は、相変わらずかっこよかった。
 その圭介が立ち上がり、入り口から動けずにいた私のところまでやってきた。
 そして静かに抱きしめる。ふんわりと、そして次第に力強く抱きしめられた。
「逢っちゃいけないと思ってた。責任を感じて欲しくなかった。だから紗和を自由にする方がいいと思ったんだ」
「莫迦みたい。離れる方が残酷ってこともあるのに」
 そうだな、と呟いて改めて抱きしめられた。
「圭介の足を駄目にしてしまったから。だから作ろうと思って」
 私の言葉が圭介の腕を緩ませる。
「全部の工程を作ることは出来ないけれど、メンテナンスは全て私が担当します」
 黙って頷く圭介を、ソファに促し歩きだそうとした。
「待って」
 無言の時が数分流れ、圭介が言った。
「俺、紗和だと駄目かも」
 圭介…
 薄っすらと浮かぶ瞳の涙に、彼の心の中を見た気がした。
「分かりました。担当変更、所長に確認してきます」
 そう言ってドアノブに手をかけた時だった。
「紗和が嫌なんじゃない。襲っちゃいそうなんだけど、それでも担当してくれる!?」
 振り向いた私は、彼の胸に顔をうずめた。
「莫迦… 私は一瞬だって圭介のところから離れたつもりはないよ」

 再会して、バレンタインの季節が再びやってきた。
 手作りは期待してないから、と釘を刺すように言われる。
 相変わらず、不器用だからね。
「紗和は俺の足だけ作ってくれたらいいから」
 冗談だと思うような言葉だが、間違いじゃない。
 卒業後、圭介は資格を取って喫茶店のオーナーになっていた。そのお蔭で食事は全部作ってくれる。掃除や洗濯も家にいるのが自分の方が長いからと、殆ど全部やってくれる。
「プロフェッショナル主夫と呼んでくれ」
 そう言いながら、一緒に居る。
 あの応接室を出た足で、市役所へ行って婚姻届を貰ってきた。
「そうだ。今夜、規一が来るって」
「とうとう結婚決めたかな」
 私たちのことで、みんなの方が結婚遅くなっちゃったもんね。
 でも私は知らなかった。
 この数日後のバレンタインデーに、みんな揃って結婚式を挙げることになるなんて――。
【了】

著作:紫草

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