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〜秘め事〜
「教師」1

 ―見られている―

 夏休み直前の、慌しい昼下がり。
 職員室前に立つ、その生徒に気付いた。
 どこにでもある県立高校の、当たり前の風景。男子生徒がそこにいても、何の問題もない。
 でも…、私は違う。今度こそ、それを自覚した。

「何か、用か?」
 数学の男性教師が生徒に声をかけている。
 階段を下りての場所からでは、何を言っているのかは聞こえない。
 でも確かに、その男性教師の肩越しに、彼と視線がかみ合った。

 二言三言話して、その教師は職員室へと消えた。
 仕方なく、再び歩を進める。
 そこに在り続ける彼。

 そして今度は肩が触れそうなくらいまで近づいてきて、私の足を止める。
「先生、いつもの場所で待ってる」
 耳元に囁かれた、その声音。高校生と呼ぶには、余りにも艶やかな音色。
「行かないから」
 すれ違いざま、言い捨てる。
「来るまで待ってる、先生」
 そう残して、彼は去った。

 許されない。
 こんなことは許されない――

 大学生活最后の夏に、バイト先で知り合った。
 てっきり同じ大学生だと思い込んだ。
 好きって言われて嬉しかった。付き合い始めて、楽しかった。なのに…
 春、赴任先の高校で制服姿の彼と遇った。
 その時の声にならない、私の叫び。単なる驚きを遥かに通り越した、驚駭(きょうがい)。

 どうして…

 そう言った私の瞳を見つけると、彼は笑った。整った、その綺麗な顔で。

 逃げている。
 それから私は逃げている。
 別れ話をすることもなく、学年が違うのをいいことに、彼から逃げている。

 いつもの場所、と誘われても行ったことはない。
 本当に来ているのか。待っているのか。どのくらい、待ち続けているのか。何も分からない。
 もう何度誘いを無視しているだろう。あんなに好きだったのに… ううん、今でもこんなに好きなのに…
 ふと気付くと、彼の視線を感じる。
 はっきりと視線で犯されている感じ。視姦…

 もう何もかもが、どうでもよくなって、このまま欲望のまま突っ走ってしまいたい。
 それを留めているものは、何だろう。

 いつか、この誘いがなくなったら…
 行けないくせに、言われなくなるのが怖い。

 職員室には入れそうにない。
 もと来た廊下を引き返すため、振り返った。

  !

「もらい」
 そう言った言葉の直後、彼は私の唇に触れた。
 とっくにいないと思ってたのに。

 久し振りの、その感触…

 こんなところで何をするのだと、教師に向かって何をするのだと、頭の中の文章は言葉にならない。
 待ち続けた温もりに、我を忘れた。

 大急ぎで階段を駆け上がる。
 誰かに見られたかもしれない。
 いっそ見られてしまった方が、諦めがつくかもしれない。
 免職になるならなるで、それでもいいような気がしてきた。

 混乱した頭は、どんどん脳内温度が上がってゆく。
 屋上に出る扉は危険区域として鍵がかけられている。だから、その扉の手前で立ち尽くす。

「沙織」
 背中に声を聞く。
 懐かしい、その名前。いつしか私は、自分の名前も忘れてしまっていたみたい。
 肩に手を置かれる。
「誰もいなかったから。見られてないから」
 ごめん、と謝りながら彼は言う。
 違う違う。そんなことを聞きたいわけじゃない。
 では、何を聞きたいというのだろう。
 二人きりで逢う時間を拒んできたのは、私なのに。

「則之。私…」
 そこで振り向いた。堕ちるなら、一緒がいい。
 もう、理性のかけらも残っていない。
「抱いて」
 にやりと笑う、その目元は以前にも増して艶っぽい。
「喜んで」
 そう囁いた彼の声音は、早くも欲望を滲ませている――。
【了】

著作:紫草


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