宿運

 昨日からの時間では、詳しいことは調べられなかった。
 ただ決定的だったのは、会社の株の多くを紗都の祖父が買っていたという事実。ちょうど新規事業の準備で、チェックを怠ったのが原因だと父は言った。
 しかし二日間で買い占められてしまっては、結局何もできなかっただろう。
 そして本人が会社に乗り込んできて、縁談の話を決めていったという。
 紗都に関しては何も言わなかったらしいが、篤志を養子にくれと言われたそうだ。
 父も、さすがにこれには文句を言ったのだと。
 でも何を考えてるか、さっぱり分からない祖父さんだということだけは確かだな。

 電車でも通りでも、紗都は何も言わなかった。
 ファミレスに入り、ドリンクバーを注文する。
「好きなの、取ってこいよ」
 その言葉にも、何も言わない。ただ黙って席を立つ。
 昨夜、久し振りに洸と話した。
 そこで言われた言葉…
『忘れてなんかないだろ。古都のことは気にするな。紗都のことだけ考えてやれ』

 紗都と入れ替わりに自分がドリンクコーナーに行く。そしてホットコーヒーを淹れ戻った。
「紗都は、本当はどう思ってる。正直に言えよ」
「祖父を殺してやりたい」
「おい」
 何物騒なことを言い出すんだ、と続けるつもりだった。
 でも言えなかった。紗都の涙を見てしまったから。
「古都の父親のこと、本当だった。あの頃俺は古都の味方で、それを聞かされたお前の気持ちを考えなかった」
 そう。
 見捨てた筈の赤ん坊と似た名前をつけたと言われて、紗都がどんな気持ちになったか。あの時には分かってやれなかった。
 暫くして、洸が段取りをつけ父子を会わせた時、古都が彼を責めたようだ。どうして、そんな名前をつけたんだと。紗都の気持ちを考えたことがあるのかと。
 結局、古都は父親のことを「もう二度と会わない」と決めた。

 その話を昨夜、聞かされるまで、自分は紗都の本当の気持ちを理解していなかった。
「悪かった。許してくれ」
 そう言って、初めて紗都が顔を上げた。
「宿運って知ってるか。前世から定まってる運命のことなんだって。今はそういう巡り合わせもあるかもしれないと思う」
「先輩…!?」
 こぼれていた涙も、余りに突拍子もない話に止まったようだ。
「養子の話だけは断わったと父が言っていた。でも縁談は決定だ。秋には結婚する」
「嘘…」
「嘘言ってどうするよ。俺は、大熊の傘下にある病院に就職決定だ」
 紗都が再び泣き出した。
「真実を言おう。本当は紗都を忘れたことなどない。二度と会うことはないと思ってたけれど、忘れたわけじゃない。身勝手な男の理屈だ」
 真実を言葉にすると、こんなに簡単なことだった。
 洸の言葉に感謝する。

「紗都。結婚しような」
 泣きながら、それでも確かに、はいと答えた。
「私も忘れたことなんかなかった。古都さんに酷いこと言ってしまったのも、先輩が好きだと思って嫉妬したからだった。取り返しのつかないことを言ったのだということだけしか分からなかった」
 紗都の握り締めるハンカチが、いよいよ皺くちゃになってきた。
「だからもう一度、ちゃんと先輩に向き合う資格が欲しかった。でも祖父が勝手なことを…」
 紗都が持ってきていたグラスの中で、氷がコロリと動いた。飲めと勧めて、自分もすっかり冷めていたコーヒーを飲み干した。
「やり方は別として、お前のことが大切だったんだろ。だから紗都の願いを実現させようとした」
「許してくれるの?」
「これからは俺にとっても祖父さんだからな」
 もうこれ以上泣くな。さっきから注目の的だぞ。そんな気持ちもあって、彼女の頭を撫でた。
「そのかわり」
 紗都が、何?という顔をする。
「大学は卒業しろよ」
 そう言った言葉に紗都は頷いた。

 宿運という言葉を教えてくれたのは、古都だ。
 今、洸と一緒にいる古都が抱えてしまっている問題は、他人にはどうしようもない。
 それでも古都は言う。
『洸先輩とは宿運だから。絶対に離れたりしない』
 と。
 自分もそう言い切るだけのものを、これから育ててゆこう。

 たった一日だったな。正確には二十四時間経ってない。
 それでも人生の分岐点に立ち、決断した。
「医者になるのは当分先だぞ。覚悟しとけよ」
 それを聞いた紗都が、漸くコロコロと笑った。
【了】

著作:紫草

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