第十二話 都宮詩

 結婚して、仁はお医者様に戻った。
 でも私を家にひとり置くことはせず、毎日医療所へ同行させる。

 薬草を潰したり、丸薬の素をこねたり、教えてもらうことは多く日々忙しくして暮らしていた。
 隣に都宮詩の家があるという思いはあったけれど、文長の激怒のお蔭で全く見かけることはなかった。穏やかという中に、私はいた。
 その日も、いつものように医療所へ出かけ土間の片付けをしていた。
 そこに一人の女が飛び込んできたのは、年が明けた一月も半ばのことだった。

「どうか、お嬢様を助けて下さい。お願いします」
 女は、土下座し懇願する。
「どうしたんですか」
 普段どおりに、私は声をかけた。
 顔を上げた女が、小さく「あっ」ともらし、その後先生を呼んで欲しいと云った。
 私には分からないことが沢山ある。
 待っていてと告げ、文長に女のことを伝えに行った。
 ところが――。

「帰れ」
 文長の言葉は冷たかった。
 驚いたのは、多分、女ではなく私の方だ。
 助けを求めた女を切り捨てるなんて、そんな文長を見たのは初めてだった。
「そちらの家とは縁を切った。医者が要るなら大先生を訪ねたらいいだろう」
 そう残すと、文長は女を置き去りにした。

(文長・・)

「大丈夫ですか?」
 突っ伏して泣き出した女に声をかけた。
 すると、彼女は物凄い形相で私を見る。
「お前さえ、お前さえ来なければ、お坊ちゃまも下のお嬢様も亡くなることはなかった」
 云いながら、私は胸元を摑まれる。驚きと恐怖と、でも不思議と危機感はなかった。
「これで美鈴様が亡くなれば、本望か」
 刹那、奥から出て来た仁に女は張り倒されていた。

 何が起こったのか、すぐには理解できない。
 女は怒っていた、私に対して。
 でも私は、この女を知らない。

「出て行け。今の言葉、そのまま主人に伝えるといい。こう云って、花穂を怒鳴ってきましたと。都宮詩は、それで本望だろう」

 えっ、都宮詩?

 仁は、土間にへたりこんでいた私を抱きかかえ奥へと戻る。
「あの人、都宮詩さんの処の人?」
「ああ」
「子供が死んだの?」
「罰が当たったと、噂が出てる。使用人の男が二人、それから上の跡取りと、末の娘が相次いで亡くなった。文長は、どんなに頭を下げられても金を積まれても、誰一人診ることはなかった。筋向うの少し離れた所に、信長も診たことがあるという医者がいて、その人が診ていたらしいけれど結局、四人とも原因不明で亡くなったそうだ」
 部屋に戻り私を座らせると、お前が気にすることじゃないと仁は云う。
 でも、やっぱり駄目よ。
「仁、行って。彼女の処へ行ってあげて」
「駄目だ!」
 その声は、背中の方から聞こえてきた。振り返ると、文長が立っている。
 返事をしたのは、彼だった。

「お前のことを襲わせたのは、都宮詩だ。俺は絶対に許さない」

 あ〜、そうなんだ。
 だから、あの女は私が憎かったんだ。
 私さえいなければ、そう云った。
 全ては、私が元凶なんだ。

「文長、仁、有難う」
 私はふたりに頭を下げた。
「そこまで思ってくれて、ほんとに嬉しい。でもね、子供に罪はないよ。文長、子供は親のものじゃない。親がどんなに酷くても、子供には関係がないよ」
「花穂・・」
 泣かない。絶対、泣かない。
「行って、お願い。私をこれ以上、人殺しにしないで!」
 今、臥している少女と、かつての自分が重なった。
 大人の都合で殺されそうになった私、大人の都合で死にかけている少女。その時、私の中で都宮詩に対するわだかまりが解けていくのを、感じていた。
 もう充分だ。
 ここまで大切にしてもらって、守ってもらって、こんな贅沢はない。
「分かった」
 長い沈黙の果てに、仁が答えた。
 そのかわり、と釘を刺す。
「人殺しじゃないよ。花穂は悪くないから。それだけは間違いだと認めてくれ」
 仁は私を一度抱きしめて、
「ちゃんと助けてくるから」
 と残し出て行った。

 ふたりが、美鈴という少女を診た時、彼女は瀕死の状態だったという。
 でも現代医学を学んだ仁だからこそ、それは中毒症状だと気付いた。
 死んだ者が共通に行く場所、使う物、家の中。様々なことが調べられ、そして原因が究明された。
 水銀だった。
 都宮詩自身が持ち込んだ、現代の水銀体温計。
 それを割ってしまったことを秘密にしようとしたことで、庭の水琴窟に流したらしい。今となっては誰が割ったのか、誰が手水に流したのか、それを知ることは出来ない。
 子供たちのためにと作った水琴窟だからこそ、あえて水が留まるようになっていた。悪魔の水とも知らず、そこで遊ぶ子供たち。そのために子供たちが次々と犠牲になった。使用人の男というのも少年だったという。

 都宮詩に会ったのは、久し振りだった。
 子供を二人も亡くし、ぼろぼろになっているように見えた。
 それでも彼女は、しゃんとしていた。
 そして謝罪の言葉と、近く引っ越すと云う。短い邂逅だった。
「もう二度と会わない。娘を救ってくれてどうもありがとう」
 そう残して帰って行った。

 彼女が、この土地に来て最初に世話になったのが今の旦那さんだということだ。
 昭和の戦禍の中から、この時代に落とされた。
 男は都宮詩を妻にし、数年後、仁が落ちてきた。
 誰のものでもない仁は、都宮詩が一番近い存在だった。そう、私が落ちてくるまでは。
 彼女は、自分を見失ったのね。
 旦那さんと別れて、仁と一緒になる夢を見ていた。
 だから仁の特別になった、私が許せなかったんだろう。
 でも子供を亡くして初めて、自分が親だということを思い出したと云った。
 私には仁と彼女がいた。仁には彼女がいた。
 でも彼女には、誰もいなかった。
 十四で嫁いだ彼女は、本物の恋も知らないままかもしれない。
 彼女が云う通り、もう二度と会うことはないだろう。
 どうか、親子三人の暖かな幸せを守って欲しい。

 私を襲った男たちは、主から文長に引き渡された。彼らをどうしたのか、文長は何も語らなかった。

著作:紫草

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