私はその場に座り込み、顔を覆って泣き出した。声を殺して、いつもように。
(悪夢よ、去れ)
と唱えながら。
何もかもが嫌だった。
どうして、こんな目に遭うんだろう。
そう思うと悲しかった。泣いて泣いて、泣き続けていると、その内に男の一人が何処かへ去った。
残ったのは、後から現れた男の方だった。
「俺は仁。お前、名前は?」
「神木花穂」
ずるずる鼻水すすりながらの言葉でも、どうやら伝わったらしい。
「かほって、どんな字書くの」
「咲く花に、稲穂の穂」
「愛でたい名前」
「えっ?」
私が驚いたような声を出すと、仁と名乗った男は道端に生えていた雑草を一本抜く。
「これは薬草。花や草木や稲穂は、ここじゃ命の糧も同じだ。それを二つも名前に持ってるなんて幸せじゃん」
じゃん、って。貴男、いくつだよ。
でも何となく分かるかな。おばあちゃんが似たようなことを云っていたから。
「神木は、神様と木材の木か」
「うん」
「そっか。じゃ名字は云うな。ここは名前だけでいいから」
「どうして?」
「今、花穂ちゃんがいるのはね、歴史で勉強した戦国時代だよ」
「・・・・・」
言葉を失ったら、涙も止まっていた。
聞きたいことは何でも教えてやるから、と仁と名乗った男は云った。
聞きたいこと。
それは山程ある。
でも、何故だろう。言葉が続かない。
とりあえず、神木は悪い名なのかと訊ねた。彼は云った。
「神様が特別過ぎる時代だから、それを名乗るだけで攫われる。権力のある人種の処ならラッキー。災いを嫌う人種なら人柱にでもされるかな」
聞きながら私の背中を、いや〜な汗が流れていったことは云うまでもない。
「花穂ちゃん、ここは危ないから俺んち行こう」
私が何も云わないからか、彼は、私の荷物を持ち上げる。
「何だ、これ。すっごく重い」
「あ。学校から全部持って帰ろうと思ってて。あの・・ごめんなさい」
謝る私の頭を良い子良い子して、いいよ、と仁は歩き出す。
「あの・・、どうしてここは危ないの?」
「凶暴な野犬が出るから」
私は再び、言葉を失った――。
十分くらい歩くと、いくつかの小屋のようなものが見えてきた。
「一番手前が俺ん家。時代が違うからね、鍵はないよ」
仁の言葉は、あっけらかんとしているが、何だか変だと思った。
この人は、どうして私が歴史で習ったなんて云えるんだろう。
手招きされるまま、仁の云う俺の家に入ろうとしたけれど、その直前足が止まった。
「あの」
「何」
「他に誰か、いますか」
「いないよ」
「じゃ、ここでいいです」
私は、家の軒下に置いてある長椅子を指した。
仁は、少しだけ笑った。何となく、鼻で笑われたような気もしたけれど、この際無視だ。私が座ると、彼は荷物だけを運ぶため一度消えた。
(幾つくらいかな。若そうだけど、三十歳くらいかな。さっきの人に比べたら、断然二枚目だな・・)
とりとめもないことを考えていると、彼はすぐに戻ってきて私の隣に座り込んだ。
「あの」
私、さっきからこればっか・・。
「何」
「有難う…ございました。あれ、ホントに重かったから。助かりました」
どういたしまして、とウィンクする彼。
(うん、サマになってる。ヤバイ!めちゃくちゃ好みかも)
「じゃあ何から説明しようか」
仁が、そう云った時だった。
一本道の向うから、女の子の走ってくる姿が見えた。
仁は私の視線から、その女の子を確認し都宮詩(つくし)だよ、と云って立ち上がる。
「仁。聞いた。また落ちてきたって」
「うん。多分、俺の時代に近いかな。その制服知ってるから」
と、仁が指したのは、私の着る高校のセーラー服だった。
落ちてきた?
落ちてきたって?
落ちてきたって、何?
きっと、物凄い形相だったんだろうな。
女の子が吃驚してるのが、分かる。
「花穂ちゃん。俺たち三人はね、みんな未来という時間から落ちてきた人間なんだよ」