第六話 新しき日々

 御伽話のような、ううん、SF小説のような展開も、実際に生きている人間には関係がない。
 私は、目一杯驚いて、驚ききった後で、女の子に聞いた。
「いつから、ここにいるんですか」
「私は、十年くらいかしら」
 そう云うと彼女は仁を見る。
「俺は三年になるかな」
「お二人は、戸惑ったりしなかったんですか」
 そんな私の言葉を受けると、二人は大笑いをする。
「俺には、都宮詩がいてくれたけれど、都宮詩は誰もいない処に落っこってきたんだから凄かったらしいぞ。三ヶ月くらいは泣いてたそうだ。それでいけば、花穂ちゃんは一番ラッキーってことだな」
「ラッキー・・」

 確かにそうだ。
 あの最初に会った男の人も、この二人を知っているから、私を変な奴って思わなかったんだ。
 なら今の私に必要なのは歴史の勉強じゃなく、これからの暮らし。

「あの、私はこれから何処で暮らせばいいのでしょうか」
 仁が、おやっ、という顔をする。そして、ニヤッと笑うと、
「俺んち」
 と胸を張る。
「それは、本気で云ってますか」
「勿論」
「分かりました。じゃ、私が何をすればいいか、教えて下さい」
 決断したら早い。
 これは変わらない。
 おばあちゃんが云ってた。
 人間は、どんな情況にあっても、お腹はすくしトイレにも行くと。
 なら、まずそれだ。
「その前に、台所とトイレを教えて下さい」

 流石に、二人とも言葉を失っていた。

 今にも壊れそうな引き戸を、仁は上手に開ける。
「コツがあるんだ。あ、でも壊しても、すぐ直るから気にしなくていいよ。どんどん壊して」
 そう云いながら、中へ入っていく。
 私も、都宮詩さんと後に続いた。
「私、仁の家初めて入った」
「えっ?」
 入ると、そこは玄関であり、台所。かまどと甕が置いてある。
 物珍しそうな顔をして、あちこちを見渡していた。
 そこに彼女のこの言葉だ。
「初めて?」
「そう。仁が他人を家に入れるなんて、今まで一度もなかった。だから、さっき一緒に暮らすって聞いて、驚いちゃった」
 都宮詩さんは、そう云って少し私を睨み付けた・・、ような気がした。

「おい。やめろよ」
 奥に消えていた、仁が戻ってきた。その顔に変化はない。
 何だ、嘘か。
 彼女の言葉に、翻弄させられた自分が少し嫌だった。
 都宮詩さんが、何故あんなことを云ったのか。何となく分かる。彼女は仁が好きなんだ。だから私に嫌がらせをした。
 それなら、どうして彼女は一緒に暮らさないのだろう。
 私の視線に気付いたのか、彼女は、仁に荷物を渡すと出ていってしまった。
 仁が奥から持ち出してきたのは、大きめの柳行李。そして都宮詩さんから受け取った風呂敷包みを、こちらに差し出した。

「今着ているものは全部、ここにしまった方がいい。バッグも。必要なもの以外は隠しておけ」
「隠す?」
「落ちてきたってだけで酷い目に遭うから。特に女の子はね。親と死に別れたことにして、落ちてきたことは秘密」
 仁は、な! とウィンクをした。
 受け取った包みを開くと、着物が数枚あった。これは都宮詩さんの物だろうか。
「見れば分かると思うけれど、あれが釜戸。火は熾せる?」
 私は頷いた。
「上等。隣が甕。山まで行くと泉がある。そこから汲んでくるんだ。でも雨続きで水が濁ることもあるから、そこに」
 と云って、部屋に上がる板の間の奥を指すと、
「簡易浄水器」
 すご〜い!
「理科であったね。大きさの違う石を入れて作ったの?」
「見ただけでそれが分かるなら、ここで生きていけるよ」
 仁は、そう云って私の頬にキスをした。

 えっ?
 顔を上げると、いつ間に近づいてきていたのか。目の前に仁の顔があった。
「えっと・・、トイレは何処?」
 そう云った私を笑うように、こっち、と手を引いて外へ出た。

「ここではトイレは肥やしの素。だから色々ある。でも俺は医者だから必要ないし、とりあえず見られないことが一番。で、みんなが使う肥溜めに運んでくれる人がいること。だから、ここ」
 そう云って、少し歩いた処にあった小さな小屋を指す。
 なる程。水洗式のトイレなんてないもんね。
 私は了解、と敬礼して見せた。

 家も広さだけみれば、八畳くらいはあるだろう。
 ただ、1ルームなだけ。押入れが一箇所。布団も一組。
 仕切り代わりに使っている小さな衝立が、唯一の目隠し。
 慣れる前に諦めることが多そうな、新しい生活の幕開けだった。
 季節は夏。
 同じ夏なのに空気が澄んでいる。目を閉じると、蝉の鳴き声さえも優しく鳴いているように聞こえてきた。

著作:紫草

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