第七話 信長、好き?

 暮らしとして納得してしまえば、ここの暮らしは、そんなに難しいものではなかった。
 少し前までは、もっと多くの人が住んでいたらしいが、今はみんなが安土へと向かっていると聞いた。

 安土。

 あ〜、ここは、あの時代なんだと思った。
‘昔々’で始まる昔話。あれは世界が違うと思っていた。勘違い。そうじゃなかった。何も変わらない。人は人であり、生きるということに昔も今もなかった。
 太陽は、私の知るものと違うことはなかったし、食事をし仕事をし、そして眠るだけ。
 それでも最初の夜のドキドキ感は、近年稀にみるドキドキだったっけ・・。

「布団は一組しかないよ。でも、この季節だから掛け布団も並べて敷けば問題ないだろ」
 仁の言葉は、そう唐突に始まった。
「一組?」
「そう。着物かけときゃ、風邪も引かないって」
 至極、当然のように明るく元気に(?)仁は云う。そして一組の布団を並べて敷いた。

 冗談じゃないわよ。
 何考えてるのよ。
 同じ部屋に寝ることだって、物凄く妥協してるのよ。その上、布団並べて寝るの?

 頭は非常に冴えていた。
 言葉は湯水のように流れ溢れてくる。
 しかし、それが口から出ることはなかった。

「じゃ、間に、この衝立を置いてもいいですか」
 漸く出てきた私の言葉に、仁は暫し考えこんでいた。
「いいけど、玄関っていっても鍵ないから開けられたら丸見えになるよ」
 えっ!それは、困る。
「じゃ、衝立のこちら側に私が寝ます」
 今度の仁は、クスッと笑って、
「いいけど、そこ開けたら、外だよ」
 ・・そうでした。
 じゃ、どうすれば。
「いいじゃん。俺が縁側の方に寝て、隣に花穂ちゃんが寝れば」
 仁の声も顔も非常に明るく、そう云っていた。
 やっぱ、それしかないかぁ。
 今が、どんな緊急事態であるか。
 ちゃんと分かっている心算でも、今夜、お布団で眠れることが奇跡に近いと分かっていても、それでもためらってしまう。

 私が百面相をして悩んでいると、ふいに手首を摑まれ、そのまま布団の上に座らされた。
「あのね、花穂ちゃんは凄く疲れているから。今夜はぐっすり眠った方がいい。時空を越えてきたことを忘れちゃいけない。もし、何かあった時、隣に誰かがいた方がいいと思わない?」
 どう? と云って仁が私にキスをした。軽い、ほんの少し触れただけの、空気が動いた感覚しか残らないような小さなキス。
「やり! 花穂ちゃんのファーストキス、ゲット〜」
 思わず笑ってしまった。
 だって仁ったら、子供みたいに楽しそうなんだもん。
 私は喜ぶ仁を、人差し指でツンツンと突く。
 そして何? という顔でこちらを見た仁に告げた。
「ファーストキスじゃないよ」
 と。

 あの時の仁の顔を、私は一生忘れないのではないだろうか。
 あの済ました二枚目が、かなり傑作な表情だったとだけ云っておこう。

 で、その後どうなったか、というと。
 結局、私は怖くて仁が隣にいないと眠れなかった。
 遠くで鳴る風の音、獣の唸り声、そして犬の遠吠え。
 私の知る夜は、夜ではなかった。灯りのない世界。真の夜は、暗闇のなかにある虚無だ。
 背中を向けて寝ようとしたくせに、自分から仁に手を伸ばす。そして彼の胸の中で漸く眠れた。
 現代を生きた私には、全てが恐怖でしかなかった――。

 朝。
 日が昇ると自然に目が覚めるようになった頃。
 近く、戦さがあるという噂が広まった。

 戦さ・・。
 今、どこかで信長や秀吉が生きている。
 とても信じられない。きっと本人にでも会わなければ、心の底からは信じられないだろうな。
‘戦国自衛隊’の映画は観た。あの映画は時空の揺れ戻しで、ちゃんと現代に帰っていった。
 でも仁や私に、それは起こらなかった。
 少しずつ仲良しの人が増えてゆく。
 その数が増えるたび、この土地での暮らしが楽しくなってゆく。同じ分だけ、現代に戻れないことを思い知らされている気になった。

 最初に会った文長という男とも、すぐに再会した。文長は仁の友人で、仁が落ちてきた時も最初に見つけた人だという。
 その彼が、二度目に会った時、聞いてきた。
「信長、好き?」
 と。
 私は、はいと答えた。
 すると、どこがと食い下がる。
 あれから会う度に、信長好き? の会話を続ける私たち。
(何か意味があるのだろうか)
 最近になって、漸くその事に気付き始めた。

 信長は好きだ。
 歴史上、たぶん一番といって云いほど好きだった。
 しかし文長にどこが、と云われると、確かにどこが、と思ってしまった。それまで好きと思っていた部分は、すべて話した。
 それでも文長は食い下がる。
 どこが? と。

「まむしの処に乗り込んだ時、一言もなく、あのまむしを黙らせたとこ」
 そう云った時、初めて文長が、にやりと笑った。

著作:紫草

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