月にひとつの物語
『如月』(紫草版)

 死後認知。
 夫婦間の子ではなく、非嫡出子の場合、父の死後でも認知を受けることができる。

 概ね、金銭的に恵まれず生活に困った場合において、この死後認知を請求することがあるらしい。
 しかし我が家の場合、母は小さいながらも事業主で、金銭的には余裕にお小遣いとかも貰ってるわけで。当の本人である俺は私立高に通うことが可能な普通の高校生で、バイトはするけれど生活費に巻き上げられたことなんか一度もなく…
 あゝ。
 小遣い帳だけは小学校の頃からの癖でつけてるけれど、何に使ったかを報告さえすれば余程のことがない限りNGにはならない。

 つまり、何が言いたいかというと。
 今更、認知なんてしてくれなくても、我が家は困ることはないし、父親といっても記憶なんて皆無だし、正直、恩を売るように「認知してやるから、ありがたく思え」とは如何にもな言い分だと思うのだが。
 でも目の前にいる弁護士は、結構高飛車な物言いで、俺はいつ母親がブチ切れるかとそればかりを案じていたくらいだ。

 でも珍しく母親は黙っている。
 この弁護士の言う内容に、肯定も否定もしない代わりに黙って聞いている。いつもなら、理不尽だと思うことがあれば烈火のごとく怒りだすのに、何故今はそうしないのだろう。

 愛人ではなかった。
 かつて、父親の話を聞いた時、母はそう言った。どちらも学生で、まだ親掛かりの身だったと。
 だから義務も責任も、アチラ側には何もないのだと。
 ハウスキーピングの事業を始める直前、更に事業が軌道に乗るまでは流石に貧困に近かったらしく、俺は小さ過ぎて気付いてないけど、倹しい食卓だったと聞いた。
 でも充分、幸せな二人暮らしだった。なのに何故、今、認知したいなどと言ってきたのだろう。

「あの」
 一言。というか、二文字言っただけで弁護士に睨まれた。
 何だ、こいつ。俺の知り合いの弁護士とは雲泥の差だなと思いつつも、俺の方が大人じゃんと納得してやって話を続ける。
「必要ないですよ。俺、認知してもらわなくても、そちらに迷惑かけないで生きていけますから」
 言ったところで、その弁護士は顔を真っ赤にして怒り出した。というか、そう見えた。

 何なんだよ。
 あれこれ難しい法律用語を持ち出して、口元に泡飛ばして喋りまくっている。
 流石に、母親も目が点状態になっている。
「おじさん。少し落ち着いたら」
 これがまたいけなかった。
 弁護士は、更に血圧を上げたように今度は裁判なんて話になっている。

 テーブルに置いてあるメモ用紙を見えない位置まで持ってきて、母親に対しメッセージを書く。
『認知って必要か?』
 テーブルの下からそれを見せ、顔を覗きこむと、母は小さく否定した。
 気持ちは決まった。
『叩き出そう』
 今度は驚いた顔をして見せたが、止めろという言葉はない。
 俺は席を立ち(いきなり180近くある俺が立ち上がったから、チビな老弁護士は漸く口が止まった)弁護士の鞄を片付け腕を掴んで扉の前まで連れて行く。
 その都度、文句を言ってはいたがお構いなしに引っ張ると、チビな上に非力だったようで簡単に引っ張られてきてしまった。
「母さん。お別れのご挨拶」
「認知の必要はないと、あちらにお伝え下さい。今後、一切関わりなくいきましょう」
 俺は、母親の言葉が終わるのを待って弁護士を放り出した。
 暫くは無言のまま、そこにいた。
「大輝。お前、やり過ぎ」
 そんな言葉で漸く活動再開だったようで、母が事務机に移動し仕事を始めた。
「いいじゃん。高校生でも怖いんですよ〜って分からせておいた方が」
 そう言って俺も、宿題の為に自室へ移動した。

 それから数ヶ月。
 すっかり忘れた頃になって、また別の弁護士がやってきた。
 先日の弁護士の非礼を詫び、そして改めて死後認知の話をしたいと言う。
 冗談じゃない。そう言って、再び追い出すために席を立った時だった。
「もう長くありません」
 という言葉によって、それは阻まれた。

「今、何て」
「まず前回の弁護士の話を全て忘れていただきたい。今回の死後認知は、こちらがお願いする立場なのです。貴男の(と言って俺を指す)お父さんは未婚のまま逝去されました、御祖父様もご一緒に。そして幾ばくかの財産は、このままだと国に治められます。遺言状作成の段になって、初めて貴男を捜そうと思われたのが御祖母様です。今はお独りでお暮らしです」
 何の話だ、と俺は母を見た。
 母は前回と同じように、ただ黙って聞いているだけだ。
「あちらの方が、大輝に財産を継がせるということは、大輝を取り上げるということではなかったんですか」

 いいえ、と若手の弁護士は言う。
「今すぐどうということはありませんが、余命は宣告されております。一人息子であった正孝さんの忘れ形見である大輝さんに、罪滅ぼしの代わりに少しばかりの財産を遺したいというお考えです。ただ遺言状ですと、法律も違ってきます。ならばいっそ、死後認知を受けていただけたら法律的にも守られます。ご一考願えませんでしょうか」
 俺は、母と顔を見合わせた。

 母は考える時間が欲しい、と一旦、弁護士には引き取ってもらった。
 全く違うことを言ってきた弁護士が二人。こちらには何の情報もない。
「母さん。向こうの名前と住所、何をやってる人か全部教えて」
 そして俺は十八になって初めて、自分の出生の秘密を知った――。

 結果から言おう。
 どちらの弁護士も、いけ好かない連中だった。
 祖母は余命など宣告されておらず、ただ認知症の診断を受けていた。
 親族への財産贈与を拒否する遺言を書かれてしまった奴らが、弁護士丸抱えで企んだ財産乗っ取り未遂事件になった。俺は、財産だけ贈与されたら文書でも偽造されて叩き出されたんじゃないだろうか。
 結局、知り合いの弁護士の更に知り合いの警察の人に、事件として扱ってもらい解決した。
 俺は認知するという祖母の申し出を断わり、その代わり週に一度通うことにした。認知症の祖母に覚えてもらうことはできないかもしれないが、少なくとも俺を見限った孫だと解っているうちは顔を出す。
 母は会いには行かない。それはそうだろう。子供(つまり俺)ができたと知った途端、手切れ金を送ってきた人間だ。

「おしどり夫婦っていうでしょ。正孝はそんな夫婦になりたいと、いつも話してくれていた。でも大学時代に付き合った大輝君のお母さんと別れた後は、誰ともつきあうことはなくてね。結局、結婚もしないまま死んでしまった」
 そう言って、車椅子で出てきた庭の池を指す。大きな池だった。
「代わりに飼っていたのかしらね」
 そう言って、番いの鴛鴦が水面を動く姿を目で追った。何をするではないけれど、可愛がっていたという。
「お祖母ちゃん。一度だけでいい。母ちゃんに謝って欲しい。俺が生きてるのは、母ちゃんが産んでくれたからだ。お祖母ちゃんが財産目当ての子供を堕ろせと言った後、家を出てたった独りで育ててきてくれた母ちゃんのお蔭だ。複雑な話を聞いても、お祖母ちゃんに会いに行こうって思える子供に育ててくれた母ちゃんの」

「分かってる。咲子さんにはどんなに感謝してもし足りないくらい感謝してる。大樹君にも感謝してる。たとえお金のためと言われても、仕方が無いと思ってたのに」
 人を見る目がなかった、と祖母は泣いた。
 母が、俺を祖母の家にやるのに出した条件はひとつだけ。財産は要らないから、祖母として、孫にしてあげるだけのお小遣いだけあげて欲しい、と言ったのだ。
 知り合いの弁護士に仲介してもらい、祖母の思い通りの遺言状を作り直し、もう思い残すことはなくなったと祖母は言う。
「認知症って病気はやだね。いつか大輝君のこと、忘れちゃうんだから」
 そんなことを言いながらも目に見えて忘れていくことはなく、俺はその後大学に通いながら、そして就職してからも祖母の家を訪れる。
 結構、生活に支障が出てくるようになってるのに、俺をどう認識しているのかも分からないけれど、今も俺は祖母の家へと向かう。
 父が可愛がったという鴛鴦は、世代を替えながら、今も仲良く身を寄せ合って水面に紋を残している。
【了】

著作:紫草
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