月にひとつの物語
『弥生』(李緒版)

 私の住む場所は、お殿さまのいた城下町。復元されたお城の隣には、歴史博物館がある。
 小学生の頃に遠足で行ったときには、なんの興味もなくて、古くて汚い道具が並んでいるだけじゃないなんて言い合って、友だちと騒ぎながら見た覚えしかない。
 それなのに、博物館へ出かけるのがちょっと楽しみだったのは、大好きなおばあちゃんとのお出掛けってことだけじゃない。中学へ入って、歴史を勉強するうちに、昔のことに少し興味を持つようになったから。
 毎年春の企画展は、お城に嫁いできた身分高いお姫さまの持ち物だったという雛人形と彼女が使っていたお道具たち。
 最初の部屋には、お姫さまが日常使っていた(!)という豪華な塗りのお道具が展示されていた。
 鈍く光る黒い漆塗りに、金の蒔絵。これみよがしの紋が入っているのは、自分の家の方が格式が上だって言いたいのかな。200年以上経っているなんて思えない程ちっとも古臭くなくて、桜や菊、金の粉が散らしてある様は自分の物にしたいと思うくらいとっても綺麗。
「実際、手にしたのは侍女で、お姫さまはされるがままだったろうから、柄を楽しむなんてことはなかっただろうねぇ」
 おばあちゃんのため息のような言葉に、私も頷いた。髪を梳いてもらったのは小学校低学年までだったけれど、その頃はまだお母さんのブラシを使っていたもの。自分でするようになって初めて、キャラクター入りのブラシを買ってもらったんだから。それともお姫さまには、綺麗だとか、この柄でなくちゃ嫌とか、そんな風に考えることなんてなかったのかな。
 雛人形の展示室に入ると、少しだけ室温が下がったような気がした。慌てて、厚手のコートの前をしめた。
 我が家は女系家族で、おばあちゃんもお母さんもお婿さんを貰っているから、雛祭りは盛大に行う。客間に、おばあちゃんの分、お母さんの分、そして、1人娘の私の七段飾り、合計3種類を部屋一杯に飾るから、遊びに来た友だちは皆、びっくりする。
 そのおばあちゃんの雛人形は、御殿付きで、由緒正しい家だったのだと、それを見るだけでも納得する。今では普通のサラリーマン家庭だから、私の雛人形はごく普通。飾ってある道具だって、おばあちゃんのとは違って、いかにもプラスチックですって感じのもの。うんと小さい頃、おままごとに使って、お母さんに叱られたっけ。
 そのおばあちゃんの雛人形の道具に比べても、展示されているお道具はとても立派だった。当然かぁ。お姫さまの持ち物だものね。

『ここには、讃岐が誂えてきた着物をしまいましょう』
 ふいに、鈴を転がすような、本当に可愛らしい声が聞こえて、私は辺りを見回した。近くにいるのは、大人の人ばかり。10歳くらいの女の子の姿なんて見あたらなかった。
『あぁ、駄目よ。そちらの長持はお布団をしまうの。着物はこちらの箪笥へ入れて』
 さっきと同じ声。でもやっぱり、小さな女の子なんて周りにはいない。どこから聞こえてくるんだろう。人形の展示室だから、ちょっと怖いような気もするけれど、好奇心の方が強かった。
『上から二段目がいいわ。お願いね』
 ませた口調だけれど、可愛らしい声のせいか、なんだか憎めない。
 そういえば、長持なら雛人形のお道具にあったなと思い出して、さっきまで見ていたガラスケースに視線を戻した。
 そこには、展示されていたお道具ではなく、全く別の、時代劇に出てくるような世界が広がっていた。


 広い広いお座敷いっぱいに広げられたお道具と小さな小さな着物やら櫛やら、草履やら。その中央にちょこんと座っているのは、重たそうな打ち掛けを羽織らされた(ように見える)目の大きくて、日本髪を結った女の子。テレビに出てくるお姫さまなんかよりずっと可愛らしくて、素敵な着物を着てる。それに、頭につけた銀色の簪が、彼女が動くたびにしゃらしゃら動いて、なんて綺麗。
『姫さま、そろそろ片付けないと、若君さまがいらっしゃいますよ』
『嫌ぁよ、まだ衣更えのお仕事が終わっていないんだもの』
『でも、若君さまとお庭を散策なさるお約束がございましょう?』
 侍女らしき人からそう言われたお姫さまは、しぶしぶといった感じで片付け始めた。
『僕の可愛い許嫁は、随分忙しそうなんだね』
 そう言いながらお座敷に現れた男の子を見て、思わず私は吹き出してしまった。向こうに聞こえたかと、慌てて口を押さえたけれど、どうやら聞こえていないみたいで、ほっとする。
 小学校の高学年くらいだろうか、まだまだ子どものくせにいっぱしに袴なんて穿いて、腰には短い刀まで差してる。それでも威厳があるのは、若君さまって呼ばれる身分だからなんだろうな。
『庭へ行くのは後にする?』
『…急いで片付けます』
 少し顔を赤らめて、殊勝に応えるお姫さまは、私から見ても可愛くて抱きしめたくなっちゃうくらいだった。
『では、手伝いましょう』
『いえ、これは女たちの仕事ですから。若君さまは、こちらを召し上がってお待ちくださいませ』
『それでは、いただきましょう』
 お姫さまはちっちゃな手で三つ指をつくと、雛人形のお膳を差し出した。よく見ると、中にちゃんと食事が入っている。
 うわ、お姫さまのままごとって、本格的。
 許嫁って言ってたけど、このお姫さまってよその国からお嫁に来たんだよね。どうしてこんなに小さいうちから一緒にいるんだろう。あ、展示室の入り口に、8歳の時にお国入りしてるって書いてあったんだった。そんな小さい時に親から引き離されて可哀相に、って思ったんだっけ。
 そっか。政略結婚で、相手の顔なんて見たこともないままお嫁に来て、夫となる人には側室だって何人もいたりする。お姫さまなんてなるもんじゃないな、と思ったけれど、幸せそうなままごとみたいな小さな夫婦の姿を見て、私はなんだかほっとして、嬉しくなってしまった。

「こんな小さなお道具にも、細かな蒔絵がされているのねぇ」
 感嘆したようなおばあちゃんの声に、私は思わず振り返った。そうして、慌ててガラスケースに目を戻すと、お姫さまたちの姿は消え、もう、ただの展示物が並んでいるだけだった。
 おばあちゃんは、私の表情に不思議そうな顔をしたけれど、理由を尋ねることなく、こう切り出した。
「実はね、これまで話したことがなかったけれど、我が家はこのお城の家老の家だったの。初期の頃の分家筋だから、展示されている家系図からは外れちゃってるけれど」
 私はびっくりして、おばあちゃんの顔をみつめた。確かに、有名な家老の人と名字が同じだけれど、一学年に同じ名字の人は何人かいる。子孫と言われている子とは、もちろん親戚でもなんでもない。
「だからといって、あなたはもう現代に生きているのだから、お婿さんなんてもらわなくてもいいのよ。お母さんの時は、偶然長男じゃなかったからお婿に来てもらったけれど、少子化の今は、そんなこと望めないものね。あなたは、好きな人と結婚なさい」
 ちょっと待って、おばあちゃん。私、まだ中学生だよ。そりゃ、もう彼氏がいる子だっているけれど、私はまだそんな人いないし、結婚なんてまだ10年以上先の話だって。
「あなたの花嫁姿、見られるかしらね。せいぜい長生きしなくちゃ」
 そう言って微笑むおばあちゃんは、いつもよりちょっと老けてみえた。やだな。まだ還暦迎えたばかりなのに。今の平均寿命って、80歳代でしょ。長生きしてよね。


 それにしても、さっき見えたのって、なんだったんだろう。まるで映画でも観てるみたいだった。でも、私にしか見えなかったんだよね。幻覚? でも、不思議と怖くない。なんだか本当にあったことのように思えていた。
「展覧会、楽しかった?」
 いつもは、おばあちゃんに付き合った後のご馳走の方が楽しみだったから、こんなこと聞かれたのは初めて。私の表情がいつもと違っていたのかな。
「うん、とっても。昔の人って、教科書の中だけの人かと思ってたけれど、私の血のつながった昔の人が、この雛人形やお道具を見てたかもしれないんだって思ったら、なんだか本当に生きてた人なんだなぁって思えて、面白かった」
 そう答えたら、おばあちゃんはとても嬉しそうに頷いてくれた。また、一緒にお出掛けしようね。もちろん、展覧会の後のご馳走もよろしく!
【完】

著作:李緒

月にひとつの物語-contents 卯月(紫草版)
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