〜月の宮の伝説〜

うつつがえり

 歩いているとやがて見慣れた風景が、目に飛び込んできた。ゆうべ、彼女を見つけたところ、俺は再び藤の下に帰ってきた。そして家に戻った。家の玄関先に立つと、例の藤の棚の方角を目で追った。

 月宮星───
 ひどく不安を感じさせる世界に彼女は棲んでいた。俺は、もしかすると戻ってくることのなかったこの世界が、無性に愛おしく思われた。彼女も同じように、自分の世界を大切にしてきただけだ。そして、どんなことがあったにせよ、彼女は命の恩人だ。この先、記憶の中でだけでも想い続けていきたいと思っている。

「まぁ、英則。こんな処で何してるの?」
「母さん。おはよう。ちょっとね、藤の精と夜遊びしてきた」
「あら、それはロマンチックなこと」
 新聞を取りに出てきた母と、並んで家の中へ入った。
 自分の部屋に戻ろうか、とも思ったが、結局食卓に着いた。
「まだ朝ご飯できないわよ。牛乳でも飲んだら?」
「あゝ、自分でやるよ」
 俺は冷蔵庫を開けた───。
「一寝入りするの?」
「いや、このまま起きてる」
 母の云うように、いつもの時間には、まだ少し早過ぎるのだが、とても眠れそうになかった。
 もし、あのまま俺が帰ってこなかったら、両親はどうしたのだろう。きっと大騒ぎになっただろうな。そう思うと帰ってくることが出来て、本当に良かった。
 母が早目に朝ごはんを用意してくれたので、俺は朝食を済ませ、今度こそ部屋へ戻った。ベッドに横になっていると、ノックする音が聞こえ、姉が入ってきた。
「こらっ。昨夜、何処に行ってたのよ。心配するでしょ」
「俺のいないこと、知ってたの?」
「当たり前でしょ。お父さんもお母さんも、すっごく心配してたのよ」
 姉は少しふくれてた。
「でも、母さん、何も云ってなかったよ」
「お父さんがね、英則も高三になって、もう大人だから何も云うなって」
 へぇ〜、父さん、そんなこと云ったんだ。
「詳しく説明することはないけれど、無断外泊には違いないんだからね。ちゃんと謝った方がいいと思うよ」
「ありがと。後で謝っとくよ」
 姉は部屋を出ていった。

 何だか、すごく優しい気持ちになっていた。俺は、この夢のような冒険の一夜を、備忘録に書こうと思う。
 人に見えて人ではなかった、魔木子のために、俺自身、この日のことを忘れないために。
 そして、初戀の思い出のために。

 書き出しは… そう。
『花闇に 魔物が独り ひそんでいた───』
【了】

著作:紫草


“一言”
 このお話は、中学の頃に書いたものを元に、数年後書き直したものです。
 それでも、かなり以前のことになりますが…
 今読み返すと、文章が幼いですね。
紫草 拝

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