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〜京極〜

『一族』4

 高倉竜平は意味もなく、同じ階にある待合いコーナーにいた。もう昼になる。病院の食事は早いと分かっている。
 ただ歯を磨き顔を洗って意識がしっかりしてくると、戻り難くなってしまったのだ。
 それでも漸く気持ちを切り替え、病室へと向かう。途中、ナースステーションで容態を聞こうと思ったが、詳しい話は医師でないと無理だと思いそのまま通りすぎようとした。そこで声を掛けられた。
 振り返ると、先日渡された写真の女性が立っていた。
「何故、ここに」
「父から連絡をもらいました。竜平さんの代わりに私がゆみ乃さんの看病をさせていただきます」
 縁談は断わった筈だ。
 ただ社長から少しだけ考えがあるから返事は待ってくれと言われている。現在、どういうことになっているのか。社長がいない今では確認が取れない。
「結構です。お引取り下さい」
 それだけ言って背を向けた。すると、そこに声が続く。
「そうは参りません。夫になる方が年頃の女性と同じ部屋に寝泊りするなど、私は許しません」
 竜平は再び向き直り、直接断わると言おうとした。
 その時、食器の落ちる大きな音が廊下に響き、思わず振り返るとゆみ乃が立っていた。
 ゆみ乃は静かに頭を下げた。そして、初めて聞く強い言葉でこう言った。
「高倉。もう用はありません。そちらの方と帰りなさい」
 と。

 病室の扉がゆっくりと閉まってゆく。
 竜平は、ただ呆然とその様を見ているだけだった。
 腕を組まれるように後ろからつかまれ、はっとした。
「縁談は断わる。二度とその面、俺の前に出すな」
 腕を振りほどき、今度こそ本当に病室に向かう。
 きっと泣いてる。
 あんな言い方をするしかなくて。あんな横柄な言葉を使ってしまって。
 竜平の頭の中には、ゆみ乃のことしかなくなっていた。

 病室という処は便利だ。こんな時でも鍵はかけられない。何故なら、そんなものがついてないから。
 ノックもせずに入っていくと、案の定、ゆみ乃は布団を被ってしまっている。
「俺は謝らない」
 まず、それだけを完結に伝える。だから、お前も謝ることは何もないと言った。そして、聞いてくれるかとベッドに座る。
「あの人は取引先の常務の娘で、縁談という形で話があった。会ったのは今が初めて。見合いはすっぽかしたから――」
 たぶん、近いうちに退職という形になると思う。
 そのくらいは影響のある人からの話だった。
 これまで自分の中で結婚という形式に意味を持ったことはなかった。捨てられた子供に、家庭の良さなど分かる筈などない。
 でも、社長とゆみ乃と三人でいる時だけは、これが親子なんだとしみじみ思った。
「顔を見せて、ゆみ乃」
 そう優しく声をかけると、やはり泣き濡れた顔を彼女は半分覗かせた。
「俺は消える。一週間、ついていてやれなくてごめんな。きっとあの女からの嫌がらせが始まるから、俺が消えれば諦めるだろ」
 そう言っても、ゆみ乃は何も言わなかった。

「いつか、もし何処かで会ったら、ちゃんと声をかけて。いつもみたいに。それが駄目なら笑ってくれるだけでもいいから。じゃあな」
「待って」
 漸く聞こえた、ゆみ乃の言葉は制止だった。竜平の足は自然と止まる。
「どうしてあの人と結婚しないの。あの人も京極一族で、自分の会社を持ってる人だよ」
「お前、知ってたのか」
 そう言うと、彼女は頷いた。
「もしかして昨日の社長の話って、これのこと」
「うん」
 あんの狸親父。何が、もう少し待ってくれだ。とっとと断わっとけ。

「ゆみ乃。俺の素性知ってるよね。そんな俺が京極に入っても、いいことなんかないって。いつ、捨てたって母親が現れて金せびられるか分かんないんだから。だいだいちゃんと結婚してたのかも怪しいし、水商売とかなら尚ヤバイだろ」
 竜平は正直な気持ちを告げた、最后だと思ったから。
「汚い仕事をさせるために拾われたんだと思ってた。でも社長は違った。お蔭で今の俺は何処でも生きていけるようになったよ。だから行く。京極を離れて、高倉竜平として生きていきたいから」
「たった一人で?」
「あゝ」
「京極でなくても、いいの」
「逆に邪魔なくらい」
「じゃ、どうして今まで私のこと… 社長命令か」
 少しだけ考えるようにして、今度は下を向いた。ベッドの高さを持ち上げる。
「社長は何かを無理強いしたことなんかないよ。ただ俺が、お前と一緒にいたかっただけ」
 その言葉に、本当に小さな声でゆみ乃が呟いた。
「高倉さんって、私のこと好きなの!?」
 肯定の意味で、頷いた。
 きっと凄く驚いてるんだろうけれど、熱のせいもあって潤んだ瞳がきらりと蠢いただけだった。
「私自身はお金持ちでもなくて、京極の中でも役立たずで、そんな私でも高倉さんのこと好きでいていいの?」

 どのくらいそうしていただろう。
 看護師が入ってこなければ、一日中でも見つめ合ったままだったかもな。
 竜平の言った通り、午後の面会時間になると縁談を持ち込んだという男が乗り込んできた。
 消えると言っておきながら、まだ熱の高いゆみ乃を放り出して行くことができず、竜平は病室に留まっていた。
 ゆみ乃はやはり男の来る直前に目を覚まし、いよいよあの話の信憑性が増してくる。
 怒りまくった男は顔に泥を塗られたと言い、首にしてやると息巻いた。

「誰が、誰を首にできるって?」
 肺炎で入院しているゆみ乃までソファに座らせ、竜平と共に罵声を浴びせていた男は突然のその問いに、煩いとついでのように扉に向かって怒鳴り散らした。
 見ものだったのは、その直後の男の顔だった。
 真っ赤だったのに真っ青になり、逆切れすると赤く戻り、進退の話になると今度は白くなっていた。

 突然現れた男から逆に叱責され男が去ると、竜平はゆみ乃をベッドに戻し医師を呼んだ。
 安定剤を処方してもらい、眠ればよくなるだろうと言われた。肺の音は綺麗になり始めているらしく、ゆっくり休んで下さいと残し医師は部屋を後にした。
 残ったのはゆみ乃、竜平、そして最后に入ってきた男、藤村桔梗の三人だった。
「お久し振りです。竜平先輩」
 竜平はベッドから戻ってこないと踏んだ桔梗は、さっさとソファに座ってしまう。
「おお」
 と返事はするものの、竜平の視線がゆみ乃から外れることはない。
「桔梗。どうして現れた」
 彼、藤村桔梗は、京極が管理する“いにしえの郷”にいて、簡単には島を離れることはない筈だ。
 竜平よりも二年下で、頼りになる男だった。ただ桔梗の才能は、たった一人の男の為にだけ発揮される。
「京極逸朗氏が、島に渡ってきました。そこで菖に、頼みごとがあると頭を下げられました」
 流石にその言葉には振り返った。
「社長が島に!?」
「はい」
 話は簡単だと桔梗は言う。
「自分の会社から、京極の名を外したいとのことでした」
「何故。否、それよりそんなことはできないだろう」
 京極は、結束の固い一族だ。ありとあらゆる分野に進出し成功を納めている。特に社長の製薬会社は、系列の病院との関連もあり一番の稼ぎ頭の筈だ。
「菖が許しました。条件はひとつだけ。竜平先輩が、いえ、竜平先輩とゆみ乃の二人が心から互いを慈しみ愛し合っていること」

 京極は本当に変わるんだな、と竜平は思った。
「政略結婚や京極の名に縛られることなく、本当に好きな人と一緒に会社を盛り上げていって下さい。それが菖からの伝言です」
 安定剤を打たれ、いつ眠ってもいい筈なのに、ゆみ乃はまだ起きていて、その言葉を一緒に聞いた。
「これから京極はどうなるのだろう」
「本気で支えたいと思う者だけが残ります。本物の心意気のある人間が揃って生き残らないと思いますか」
 それもそうだな。
「それに先輩も、製薬会社継ぐんでしょ」
 桔梗の瞳が妖しく光る。
 たぶん社長には竜平の気持ちなどとっくにバレていて、自分からは一線を越えられないと踏んだからこそ、京極菖に直談判に行ったのだろう。
 京極の家に入るつもりなどない。旧家がどれほどのものか。捨てられた子の竜平には分からないから。
 でも、ゆみ乃だけは別だった。何にもいらない。ゆみ乃だけがそばにいてくれたら、それでいい。
 その刹那、気付いた。ゆみ乃が誰にそばにいて欲しいと言ったのか。そして、どうして名を告げられなかったのか。
 しかし、その前にやることがある。この病気を治してやらないと。

「桔梗。社長に伝えてくれるか。ゆみ乃はもらいますって」
「はい」
 それが合図だったかのように、桔梗は病室を出ていった。
「もう寝ろ。ちゃんと寝て、治ったらプロポーズしてやるから」
 すでに限界だったようで、ゆみ乃は竜平の言葉にただ朗らかに微笑んで静かに眠りにおちていった。
 もう認めずにはいられない。
「こいつ。ほんとに俺の前でなきゃ眠れないんだ…」
 意識のない女に手を出すのは、本意じゃないけれどな。
 離れようと思っていた。会社からも京極からも、そしてゆみ乃からも。そう決心をしたところだった。
「あっさりと寝る、お前が悪い」
 そう言って、竜平はゆみ乃の唇にキスを落とした。

 一年後。
 ゆみ乃は大学が残っていると言って結婚には足踏み状態だった。入籍だけでもと言う社長の言葉にも、ゆみ乃は頷かなかった。
 竜平が説得するのを諦めかけた、そんな頃。
 京極菖がゆみ乃の為にと誂えた、結婚式での衣装一式、全て揃えて贈ってきた――。
【了】




著作:紫草






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