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『修羅界、その後』1

 その知らせは、京極菖を慟哭させた。
 大学の執務室にあって、思わず席を立ってしまうくらい。彼は窓際に移動し窓を見上げる。
「桔梗。他に方法はなかったんだろうか」
 菖の言葉には、ただ独りの男の悲しみを含んでいるように映った。
 少なくとも、藤村桔梗にはそう見えた。
「覚悟をして家を出たようです。両親を殺めたことを、隠蔽しようという感じではなかったと聞きました」

 一家惨殺、という見出しが新聞紙面を飾ったのは、つい先頃のことだ。
 何の間違いだと、菖はすぐに葦朗に連絡を取ろうとした。
 しかし、それは叶わなかった。
「どうして…」
 俺はそんなに頼りにならないか、と呟く菖の背中には、遠い親戚というより幼馴染みを喪った悲しみを感じる。

「彼奴。最期は幸せだったのかな。澪と双子の、もう一人の未央は置き去られたことをどう思ってるんだろう」
「まだ、そこまでは分からない。今は事情を聞いた愛介が面倒見てると聞いているが。そんなに気になるなら、本土へ渡るか」
 桔梗は、いつになく沈んだ親友に問いかけた。
 しかし菖は、いいと断った。

 京極家は長く歴史の脇に添いながら、決して表舞台には出ることのない旧家であった。
 その影響力は絶大で、中央から多くの役人が京極の前に頭をさげた。
 今は、いにしえの栄光を再びと、とんでもない一大計画を実行した後始末の島に暮らす京極菖だった。
 此処は、いにしえの郷。
 一応、東京都に属する、太平洋上に浮かぶ巨大な離れ孤島である。

 栄華を極めたお馬鹿な先祖らは、この土地を買い取り、政治家を操り、此処を国として認めさせた。そして、中学から大学院までの全寮制の学校を建て、それに伴う様々なビジネスを起こした。
 島に渡るのは、寮と学校に携わる人間のみ。伝統に則る、その全てを配置する。そして、世俗にまみれず純粋に、華族・士族だのの復活を教え込む、というのが目的だった。
 しかし世の中、そんなに甘くはない。時は流れるのだ。どんなに過去を欲して逆行を試みても、簡単にはいかない。それこそ、教え込む対象が今時の軽い若者だ。根本が間違っているのだということに気付かない。
 それでも此処は存在する、すべてを闇のベールに包んで。
 菖は、現京極の当主として、この島を守っている。
 いつか、自らの手で壊してやるという思いを秘めながら。

「やっぱり行こう」
 菖の言葉に、桔梗は手続きをしてくると部屋を出ていった。
 いにしえの郷から出るには、次の船を待つかヘリをチャーターするしかない。
 だからこそ守られた閉鎖的な場所だった。だからこそ、当主である菖本人が島を出たいと望んでも、すぐには出られない規則であった。だからこそ、本土のことが疎かになってしまった。
「やっかいな場所だな、やはり…」
 一人、取り残された部屋で菖は誰にともなく呟いた。

 数日後。
 本土へ渡り、現場を見せてもらった。
 京極という名を残しただけの荒れ果てた庭と血塗られた屋内は、この家を象徴しているようにも見えた。
 当初相対した刑事は、菖と桔梗を学生だと知ると途端に横柄となり、特別に見せてやるのだと言わんばかりの態度に閉口した。
 それでも黙って部屋を見て歩き、現場となった葦朗の部屋に入る。
 そこだけ空気が違っていた。
 殺人があったとは思えない、澄んだ空間に思えた。
「未央は此処で育ったのか」
 菖の言葉に、桔梗が黙って頷いた。

 少し高い場所に窓がある。
 あの高さでは、空を見ることしかできなかっただろう。
 こんな狭い部屋が二人の全てだった。
 親を殺めてまで、何をしたかったのだろう。

 その時だった。
 玄関の方から大きな声が聞こえてきた。
 刑事が、菖と桔梗を部屋から連れ出そうと腕を取ろうとしたことで、逆に桔梗に腕を取られ投げられてしまった。
「申し訳ない」
 桔梗の謝罪が、彼を我に返らせた。
 公務執行妨害と喚く彼を、今しがた玄関から上がってきた男が羽交い絞めにする。
 その姿を確認すると、菖と桔梗は頭を下げた。
「署長。ご無沙汰しています」
 二人に笑顔を向けながら、柔道段持ちの署長は若い刑事を軽々と階下に追いやった。

「いいんですか」
「構わん。どうせ京極の名も知らぬ、青二才だ」
 言い捨てるように、眉間に皺を寄せる。
「ここも京極の一族なんだろう。どうして、こんなことになった。お前が管理していたのではないのか」
 地元の署長とは子供の頃からの知り合いだ。
 だからこそ、菖を責めるような言い方をする。

 京極一族のことを、当主が全て把握していたのは昔の話だ。
 好き勝手に動き回る輩が多すぎる。だからこそ、仕事の中枢に置く家とそうでない家を区別した。
 菖に代替わりしたことで、高をくくった多くの分家は再び好き勝手を始める。その時に菖のやったことは先代よりも非情だった。
 名こそ残すことを認めたものの、殆んどの傍系を排除した。
 跡取り問題という名目で残された傍系はごく僅か。葦朗の家は女跡取りだったが、違法紛いのことをしているという報告があった時点で家禄から抹消されていた。

 一年上の葦朗とは幼馴染みの関係だった。
 だからこそ、はっきりと通告しなかったことが裏目に出てしまった。
「署長。俺の責任です。あの母親をもっと早くに切ってしまえばよかった」
 そうすれば葦朗は親を殺めることもなく、否、その前に未央がこんな風に幽閉され続けることもなかっただろう。
 全ては後の祭りだ。
 未央を守るために葦朗は命を落とした――。

著作:紫草


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