『あきらT』

「あ〜、ちょっと待ってぇ。ね〜そこの黒い服着た女の人〜」

 時は六月、お昼前。
 名古屋栄の地下街に、比較的高めの男性の声が綺麗に響き渡っている。
 あと少し歩けばクリスタル広場。約束もなく歩く私は我関せずと放っていた。
 だが、あまりに続く呼び声に、
(誰を呼んでいるのだろう)
 と思わず聞き耳を立ててみる。

 ん?!
 黒い服?

「ちょっとぉ〜黒い日傘も持ってる人〜」

 黒い日傘?

「あ〜追いついた」

 !!

「何?!」
「さっきから呼んでるのに。振り向きもしない人なんて貴女だけだよ。お蔭で大恥かいちゃった」
 そう云われて辺りを見渡すと、殆どの人が足を止め私たちを見つめている。

(ちょっと何よ。見ないでよ)
 声には出さないが、私のオーラのようなものが、そこにいる人を攻撃する。
 私は見世物じゃない。ほっといて。だいたい、この子が叫ぶから、こんなことになったのよ。こんな子、知らないわ。
 ただ、そういう彼はTVにも出られる程の若くて“いい男”だった。確かに何もなくても、振り返られる人かもね。
「あなた、誰?」
 私がそう云うと彼は、その場にうずくまってしまった。

 やめてよ。みんながジロジロ見てるのよ。私が何かしたみたいじゃない。
「憶えてないの?」
「・・???」
 それは一体どういう意味?!

「今から何か用事ある?」
 すると彼は、さっきの答えを出す前に、今度はお昼を誘ってきた。
「用事はないけど、君と一緒に行く義理もない」
「だから、ちゃんと説明するから、お昼奢らせてよ」
 そこで優雅に立て膝のまま、右掌を差し出した。
 う〜ん、流石に決まっている。こんなクサい仕草して恰好よく様になるなんて、余程の遊び人か、本物の俳優なのかもしれない。
「この手を取ると、OKってこと?」
「まぁ、そうかな」
「子供が帰ってくるの。そんなに時間ないよ」
「了解」

 私は彼の掌に手を置いた。
 立ち上がった彼は長身で、180cmは越えてるだろう。私たちは手を繋いだまま、歩き出した。それにつられるように周りの人も動き出す。
 どうして、そんな気になったのか。
 やはり私の筋金入りの面食いに彼の顔は魅力的。いやいや、そうではない。
 何となく、ほっておけなかった。話があるなら聞いてみよう、と、そんな気を起こさせた。
 いつもなら絶対断わる誘いですらも、受けた自分が一番驚いているくらい。
 何処へ行くの、と聞こうと思った時、私が時折利用するパスタ屋へ彼は入っていった。

 一番奥の二人がけのテーブルに席を取る。私も向かい合う形で座り、真正面から彼を見た。
「あ!」
「思い出した?」
「確か、此処で会ったことがある、かも」
「かも、じゃない。会ったの。その上、俺は、あの時も恥をかいたんだ」
「恥?!」

 そこで、店員がオーダーを取りに水を運んできた。
 彼が、あれこれメニューを読んでくれたので、好きなパスタとのランチセットを頼むことにする。

「私、恥をかかせた憶えはないわ」
「そりゃ、そうだろう」
 彼は思わせぶりに笑う。いい男は只笑うだけでも様になる。憎らしいことだ。

「確か、二ヶ月位前だったよね。相席を頼まれて一緒に座った。それだけよ」

 確かに記憶の端っこに引っかかっていた彼を思い出してみても、それ以上のことは何もない。
 いったい何が恥に結びついたのだろう…

 運ばれてきたサラダをつつきながら、私は、その場の不穏な空気を感じずにはいられなかった・・。

著作:紫草

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