『あきら\』

――俺、店辞めるわ。

 深夜、突然、かかってきた俊からの電話。
 めったにかけてこないけど、それでも、かけてきた時は、今何してたとか、子はどうしてるとか、根掘り葉掘り聞いてきた。
 それが今日は全部パスして、いきなり本題?!

「何か、あったの?」
 出来うる限り、ゆっくりと聞いてみる。
 しかし、返事はなかった。

 クリスマスパーティーから三ヶ月。私は俊に逢ってない。
 殆どがメールだけ、時折かけてくる電話も“声が聞きたかっただけだから”と云って、すぐに切ってしまっていた。

「俊?!」
 私がそう云った時、ことん、と音がして扉が開いた。振り返ると、眩しそうに目をこすりながら子が立っている。
「お母さん、どうしたの?」
 どうやら私の話声に起きてしまったようだった。

 いつもなら子が起きてくると、すぐに切ってしまうのに、今夜の俊はいつもと違う。いつまで待っても受話器を放そうとはしなかった。

 私はテーブルに子機を置き、子の近くへ近寄った。そして、
「ここに、おいで」
 と手招きをする。
 とことこと、子の歩く音が受話器を通して聞こえているだろう。
「ごめんね、寝ようね」
 私に、しがみ付くように腕を後ろへ廻してくる。その腕が、次第にゆるんでくる頃、小さな寝息が聞こえてきた。
 子の小さな背中を、ゆっくりとさすりながら、頭の中では俊のことを考えている。

 ごめんね。
 こんな母親で・・。

 寝入った子を布団に寝かしつけ、リビングに戻り子機を取る。
 耳を当てると、まだ電話は繋がっていた。私の胸に熱いものがこみ上げてきて、みるみる涙が瞳に溜まる。
「俊」
 少し涙声になってしまった私の声。
――冬子。おやすみ。
 それだけ云って、電話は切れた。

 この日を境にメールも電話も、俊からの連絡は途絶えた。

 数ヶ月後、大崎さんが、俊がいなくなったと連絡をしてきて初めて、私の知るメルアドも携帯の番号も変わってしまったことに気付いた・・。

 俊。
 何があったの。
 あの日、何を云おうとしていたの。
 もう、私には連絡をくれないの。

 聞けば、店長にも詳しい理由は知らせずに、辞表だけが郵送されてきたらしい。大崎さんも葉書が一枚届いただけで、何も知らないと云うだけだ。
 どちらも消印は名古屋集中。何処、を判断する材料にはならなかった。

 小さな疑問は、やがて洪水のように私を襲い、窒息しそうな苦しさを与える。いつしか私は、俊のことしか考えられなくなった。

 世界は、子を中心に廻っていると信じていた。
 私の人生は、子の為にあるのだと信じていた。
 今、それが間違いだということに気付かされた。

 なのに、もう俊はいなかった――。

著作:紫草

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