『海豚にのりたい』

その弐「カイザの章」

4

確執
 残されたのは、年老いた祖母と専業主婦の母親、そして優作。社会的には何も出来ない三人である。そこで一番の豹変を見せたのは、祖母であった。
 それまで寝たり起きたりの暮らしを五年以上続けていた。内臓の全ての機能が衰えており、少し動くと疲れてしまって寝付いてしまう数年だった。それが毎朝六時に起きて朝食を作り、洗濯をし、掃除をする。そして、
「私が家のことはするから、働きに出なさい」
 と、母親に言い放った。
 その言葉を聞き、今度は母が激怒した、保険金を渡してくれ、と。そしてこの日、二人は決別したのだろう。
 母親はお金のことで祖母を責め、祖母は父の最期に、弟の名前しか呼ばなかったと母をなじった。出した葬式も家風に合っていなかったとか、買い物に出した母が悪いとまで言い出した。
 一人息子を亡くした祖母の気持ちと、弟を亡くした母とでは悲しみが違うらしい。そう言っていた。その時…
「どうせなら優作がいなくなればよかった」
 そう呟いた母親の言葉を、優作は聞き逃さなかった。

 この後の言い争いの凄まじかったこと。子供心に、優作は世の中で言われる「嫁姑戦争」の言葉の意味を理解した。それと、お金の持つ怖さを知った──。

 優作の祖父という人は、彼の生まれるずっと前に他界していた。それは、父親が学生時代にまで遡る。そのため父親は就職すると同時に生命保険に入り、受取人は当然祖母だった。その後、結婚した時受取人の変更をしなかった。今とは違う。誰もそのことを言う人がいなかったのだろう。祖母の様子を見れば、順序が逆になるとも思っていなかった。
 そして月日は流れ、事件に遭遇し父が亡くなって初めて、事の重大さに母は気付いたのだ。自分には自由になるお金が一銭もないことに。
 何故なら祖母は、保険金を受け取ったことを隠していた。それまで世話をしてもらうから、と出していた年金の一部も自分が家事をするからと止めた。貯金は、あっという間に底をつき、遂に母親は働かざるを得なくなった。
 働いたことのない母が働く。日々の喧嘩に、荒れていく我が家。優作の心が壊れていくことに、誰も気付いてやれなかった──。

著作:紫草



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