『海豚にのりたい』

その弐「カイザの章」

6

イルカ
 空はどこまでも澄み渡り、海は広かった。そして…何故か、浮き上がってしまう自分の体を持て余し始めた頃のことだった。

「いる、か・・?」
 どのくらい離れているだろう。
 しかし確かに、そこにイルカの姿があった。悠然と泳ぐ姿は、どこか神々しくも見えた。
「気持ちよさそうだなぁ〜」
 思わず言葉になっていた。

『ならば乗ってみるかい』

 どこからか、そんな声が聞こえたような気がした。
「誰?」
 優作は誰にともなく、聞いてみる。返事があるとは思っていなかった。
 しかし思いがけず返事はあった。間違いなく、それはイルカの視線と重なった。
「もしかして、お前が話したの?」
 すると、イルカが何とも言えない声で啼く。優作は、もう何年も忘れていた微笑みをその顔に浮かべていた。自然に腕がイルカに向かって伸びてゆく。
 一方、イルカも逃げ出すことなく、彼の手を待っているように見えた。
 彼の掌が、イルカのすべすべの身体に触れた時、優作の瞳から涙が一筋流れた──。
 そして、思い切り泣いた。泣いて泣いて、泣き暮れた。体の中から、全ての水分が涙になって出ていってしまうかのように泣き続けた。母を求めるように、肉親を求めるように、そして体温を求めるように。

「なぁ、お前の家族っていないの?」
 ふと、そんなことを思った。返事がくるとは思っていなかった。それでも聞いてみたくなった。優作はイルカに頬をすり寄せ、もう片時も離れていたくなかった。このまま、波間に漂っているわけにはいかない。ならば、一緒に行きたかった。
(餌にされるなら本望だ。どうせ死ににきたのだから)
 そう考えた時だった。
『ワタシには家族はいないよ』
 また、そんな声がした。海面を、風が力強く吹きぬけていった。
「お前も独りぼっちなのか。なら、一緒にいようか。ずっと海の中で」
『それは出来ない。ワタシの本当の姿は違うから、この姿のままではいられない』
 その言葉を聞いた刹那、優作の気持ちが底なしの何処かに沈んでいく。忘れかけていた思いが蘇ってくる。深く傷ついた弱い生き物。すがる手を失った時、何もかも捨てることで漸く生きてこられた。その思い・・

『ならば、お前に使命を与えてあげよう。その代わり、ちゃんと生きてゆくんだよ』
 そうイルカの声がしたかと思ったら、預けていた顔の先が急に水に浸かる。慌てて顔を上げると、そこには“まんが日本昔話”に出てくるような大きな蛇の姿があった──。

著作:紫草



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