『海豚にのりたい』

その弐「カイザの章」

7

化身
「あ、あ、あの・・」
 優作の声は言葉にならなかった。大蛇の姿は流石の彼をも怯ませた。
『そんなに驚くことはないだろう。つい今しがたまでワタシにくっ付いていたのに。あと、ひとつ訂正だ。ワタシは蛇ではない。龍だ』
 そう言うとイルカだったもの、大蛇だと思っていたものの“龍”が優作の周りをぐるりと泳いだ。その姿を見ながら優作は、海への道を歩いている時に聞かされたことを思い出していた。
(この海には龍神様がいるって言ってたっけ)

 その時、優作の体が大きな球体に包まれた。大きなシャボン玉のようなもの。そして龍が深海へと彼をいざなう。
 いつしか光が届かなくなって、光る苔のようなものが付いた岩がキラキラと灯りをともす。
 しかし、深海にあっては充分過ぎる灯りだった。

 そこには幾つもの石が積んであった、まるで何かを葬ってあるように。そんな塊が十数個。それを見た優作の心は痛んだ。父親と弟の墓にはもう何年も行っていない。
(荒れてしまっただろうな)
 そう思うと、暫し現実に思いを馳せた。

『お前に使命をやろう』
 再び、龍はそう言った──。

 龍は、その石の塊に身体を預けて寝そべった。さっきと違って直接触れることは出来ないが、優作の手は確かに龍に向かって差し伸べられている。

 ──その昔。太古の昔。
 この石の塊は、この世界〜地上界〜へ降りてきて、此処で天寿を全うした仲間たちの墓だと、龍は言う。
 昔々、大昔の話。
 天上界から“地”を守る者としてやってきた先祖の多くの龍たちをこの海深く沈め、地を守るエネルギーに変えた。そんな龍の数も次第に少なくなり、今では、汚れてしまった為に地上界へ降りてくることが困難になってしまったのだという。今、優作の目の前にいる龍が最后の一頭だろう、ということだ。
 優作は、龍が泣いているように思えた、決して、そんなことはないのに。ここは海の中だから。それでも、泣いていると彼は思った。心が泣いているんじゃないか、と。

「使命って何?」
 優作は、あえてぶっきら棒に言葉を投げた。
 すると龍は、蛇ならば鎌首を持ち上げる、といった表現がぴったりだという動きをした。
『この墓を守って欲しい。この海を守って欲しい。何、難しいことではない。この近くに住んで、時々こうして海に足を向けてくれるだけでよい』
 龍はそう言って優作の体を抱き締めた。否、違う。どうやら袋ごと包んだようだ。
 それは何と気持ちのよいことか。優作は、もう長いこと誰かに抱き締められるということがなかった。
(こんなにあったかい感覚のものだったんだ)
 優作は人間の誰もがしてくれなかったことを龍から与えられ、人間らしい感情を取り戻していた。
「解った。そうなると、こんなとこで死んじゃいられないってことになる。海面まで運んでくれる?」
 優作がそう言うと、龍はふわりと離れてゆく。その表情は眼を細めて笑っているようだ。
『有難う。優作、ワタシたちは友だちだよ。何か、悩みが出来たら必ず相談においで』
「友だちなんて子供の頃以来だな。じゃあ、名前つけてやる。お前の名前は“カイザ”だ」
『解った。ワタシは今から“カイザ”だな』
 次の瞬間、優作の体は砂浜に打ち上げられていた──。

 イルカに姿を変え、人間を守っているカイザ。ふと優作の口元に笑みが浮かぶ。
(やっぱり龍神様じゃん)
 水平線には、オレンジ色の夕陽が沈んでゆくところだった。不思議なことに優作の体は、どこも濡れてはいなかった。

著作:紫草



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