『海豚にのりたい』

その弐「カイザの章」

9

カイザ
「カイザ、来たよ。俺を憶えているか?」
 優作は海に向かって話しかけた。
 すると、水平線の向こうからイルカの来るのが分かった。それに気付くと優作は、ばしゃばしゃと水に入っていく。
 寄せては返す波により、水飛沫が膝まで届いた。波が、少しでも遠くまで行き着こうと白く泡になり反す。あちらこちらで波が反し、白い筋を作っていた。波の音と潮の香り、そして海風。それらが、ここを海だと知らせてくれる。
 暫く歩いていると、以前感じたと同じような透明な風船の中に再び入っていた。そしてカイザに伴われ海底への旅に出る。

『おかえり。優作』
 カイザはそう言って迎えてくれた。ふたりは抱き合うように触れ合った。優作の頬を綺麗な涙が流れていく。
「俺みたいな奴、あれから何人くらい助けた?」
 ちょっと考えれば、自殺志願の若者は何も優作だけではなかっただろう。そのたびにカイザは友だちを増やしていったのだろう。それでもよかった。優作はカイザに再会するために、自らの人生を切り開いた。
『逝きたい多くの人間は、優作の前にも後にもいっぱい来た。でもワタシを受け入れてくれたのは優作だけだ。ワタシの友だちは優作だけだよ』
「じゃあ、みんなどうして自殺やめるの?」
『ワタシの姿を見ると、みんな恐怖で逃げ出す。そうすると死にたいなんて気持ちは忘れるらしい。人間とは複雑な生き物だな』
 あ〜なる程、と優作は納得した。
『優作は医者になったんだな。ではワタシもお前の役に立つとしよう』
 優作の表情が、おやっと変わる。
「どんな?」
『それは秘密だ』
 そう言ってカイザは海の中で豪快に笑った──。

 あれから十年以上の月日が流れた。
 年に数回訪れる海底への墓参に自分自身も癒されながら、優作は患者を診る。どんな病名がついていても此処に来る以上、最期は迫っている。そんな境遇にある人を受け入れて笑っていられる自分を優作は褒めていた。
 だからこそ少しくらいの超常現象、報告することはないだろう──。

 ホスピスで起こる様々な、そして不可思議な出来事は、たぶんカイザの仕業だと優作は密かに思っている。そして、それはこれからも続いていくだろう。カイザが海に居る限り自分は頑張れる、と彼は思う。
 願わくば、永遠に“カイザ”と共に・・。

 その時、一際強い風が吹き、桜の花が一斉に散ってゆく。瞬時、あたりが真っ白に染まったように見えた。
 優作は、春の桜の見せる幻に暫し酔いながら、たったひとりの友を思った──。

著作:紫草



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