『海豚にのりたい』

その参「龍の空の章」

7


「大丈夫か?」
 優作が、具合の悪そうなカイザに声をかける――。

 優作がこの海でカイザと出会ってから、三十年以上が経過しようとしていた。最近のカイザはイルカの姿を保つことが難しく、海底にて龍の姿で眠っていることが多くなっていた。
 カイザの“力”だろうか。今は自分が海へ入れば、自然と球体に包まれる。お蔭で海底に眠るカイザを見舞うに困難はなかった。次第に弱っていくカイザを見て、
「天上界へ、一度戻ってみたらどうだ」
 と言ったこともあったが、どういうわけか、カイザは帰りたいとは云わなかった。何か、問題があるのかとも思ったが、優作には分からなかった。

 それは、優作がいつものようにカイザを見舞っていた時だった。暗い筈の海底がパァ〜っと明るくなった。何が起こったのだろうと優作が顔を上げると、そこにとても綺麗な男が漂っていた――。
 その人が、カイザの話す長(おさ)だろうということは、優作にはすぐ分かった。

『優作。長い間、墓を守り続けてくれて、そしてカイザのことを見舞ってくれて、長として礼を云う』
 その声はカイザの時と同じように、頭の中にじかに響く。
「こちらこそ、ありがとうございました。カイザを俺に預けてくれて。連れて帰るんですよね。もう充分です。本当に有難うございました」
 変な表現だが、気持ちでは頭を深々と下げていた。その瞳に涙が浮かぶ。カイザとの別れの時が近づいていることを思っての感情が、長く忘れていた恋慕にも似た感情となって押し寄せる。
 一方、長も不思議な気持ちだった。優作を目の当たりにし、それまでの感情が浄化されてしまったような気がしていた。優作は知らないが、長がカイザと呼んだのは今が初めてのことだった。
『カイザだけ連れて行ったら、ワタシは後で口を聞いてもらえないだろう。優作、お前も一緒に来るな』
 その言葉を聞いた優作の顔が、幼い子供のようにきょとんとしたまま固まった。

「あのですね、カイザの話によれば龍の方々は非常に長生きだとか。そんな所に連れていってもらっても俺は何にも出来ません。此処で、患者さんを診るのが天職だと思います。その気持ちだけ、有難く。だから一刻も早く、カイザを連れて帰って下さい」
 優作はカイザの身体を触りながら、頭の上に浮くであろう、長に対しそう言った。その為、長の瞳がそれは優しく光ったのを見ることはなかった。
『優作。何も今すぐ連れて帰るわけではない。お前も、きちんと病院を辞めてこい。それまでなら待てるな、カイザ』
 長がカイザに言葉を向けると、弱々しくはあったがはっきりとYESの意思表示をする。それを見て、優作は困った表情を見せた。当然だろう。たった今、行かないと言ったばかりだ。そんなに簡単に意見を変えられるか、と意固地になっているのも事実だった。
 しかし、カイザと一緒にいたいなら、それしかない。
「長…さん」
 優作が長に声をかけると、長は大きな声を出して笑った。
『長でよい。何だ?』
「あ…はい。では長。何故、俺を連れて行くんですか?」
 優作は聞いていた。
 カイザと同じように人間を親友とし此処で絶えて逝った者がいることを。彼らを葬ってある場所こそが、この深海の底であり、優作とカイザが掌を合わせ続けたあの墓であることを。
『お前はワタシから春宮を奪った。それを許そうとは思っていなかった』
 そう云った長の眼は、確かに怒りを秘めているように感じた。ただ悲しいかな。優作にはその意味するところが分からず、その顔を曇らせた。
 しかし、長はすぐに柔和な表情へと戻り言葉を続けていく。
『ただ、お前の祖先に龍のいることを知った時、将来、春宮が戻って来ると云ったなら、一緒に連れてこようと思った。これは息子も同然の親友の忘れ形見なのだ。その子が望むのだから連れて行く。証しとなる剣の代わりの物をお前は持っている。次期、春宮は優作、お前だ』

 その言葉を聞き、優作は絶句するしかなかった――。

著作:紫草



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