Dream on『作品a』

V

(父親?!)
 何を言っているんだ、という思いと、この人が父親なんだ、という思いが体中を駆け巡っていた。
 ただ否定する気持ちよりも肯定する気持ちの方が強かった。おかんは、この手の冗談は言わないから。
 男は、ずっと俺の体を抱き締めていて離れようとはしなかった。ちょっと苦しいくらいだ。
 この人、ホントに大きいなぁ。俺、167しかないから腕の中にすっぽりと入り込んでしまっている、まるで女の子みたいに。
(何があったのだろう、この人とおかんの間に)
 そう思うことで、自分の気持ちが落ち着きを取り戻し始めた。

 今まで何かを聞いたことはない。
 聞きたいと思ったこともない。
 ただ、自分には何処かに生きている父がいると勝手に思い込んでいた。そうでなければ生きてこられなかった。
 でも、今。目の前にその父がいる、と言われても、やはり混乱する気持ちの方が強かった。
 おかんが独りで、どんな想いで俺を育ててきたのか、この人は解っているのだろうか。
 単に未婚なだけじゃない。俺が生まれた時、おかんはまだ十五歳だったのだから──。

 俺が、そのことに気付いた時。その時が多分自分の最初の記憶だろう。
 物心ついた時、自分は預けられている日々だった。おかんの顔を見たことを自分で認識しているのは小学校に入ってからだ。

 おかんは、自分自身が産まれた場所に住んでいた。後で聞いたところによると頼るべき人は誰もいなかったという。実際、両祖父母の墓参りをしていたことは憶えている。
 俺がお腹にいることが判って、一体どういった経緯(いきさつ)があったのか、おかんは俺を産む決心をした。その時、おかん中学三年生。中学生活最後の年が明けた頃のことだった。

 そして中学を卒業した後、自身を取り上げてくれた助産婦に自らの出産をも頼み、産後そのまま身を寄せた。身寄りのなかったその助産婦は、俺の一番の友だちになった。
 数ヶ月後、おかんは働き始めそれは昼も夜も続いた。ひたすら働き続けた、何年もずっと。そして、それは今も続いている。
 通信教育で高校の勉強をし「翻訳の仕事をするのだ」と中国語の勉強もしていた。
 俺は、いつだってその背中越しに話をしていた気がする。
 ただ時折、背中が折れるほど抱き締められることがあった。息が止まるほどの強い力でおかんは俺を抱き締める。言葉の少ない親子だった。今思うと世の中とは逆で、中学に入った頃からおかんにベッタリとなった。会話も増えたし、きっと今の関係は中学からずっと変わらない。今日までふたりきりで暮らしてきた。父親の影はなかった。
 今初めて聞かされた「俺に父親がいる」と。

 男が、漸く俺を離した。
 離れてみて、その顔を見ると綺麗な瞳をしているのが分かる。最初は男っぽい人だと思ったけれど、近くで見るとそうでもない。思わず「綺麗」という言葉を使ってしまう雰囲気をかもし出している。
「この子には何もしていないの。全部ひとりで育ってきた子なの」
 おかんが男に話しかけている。男もいろいろ話している。
 その中で男は仕事で日本に来ている事。仕事は刑事である事。今関わっている仕事自体は終わっていないが帰国は決まっている事を知った。
 おかんはこの後、仕事の打ち合わせが入っている。俺に男を「空港まで送ってくれ」と言う。
 ただ黙って頷いて、俺は男が止めてあった車の助手席に乗り込んだ。
 そして俺は聞かされる、二十年前の出来事を──。

著作:紫草

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